「生産性」を邪魔されたくないなら、負の感情を向ける人には関わらない

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私自身、「過剰な嫌悪は自分に「枷」をはめるって話」にも書いているんだけど、行き過ぎた負の感情は自分を縛ることを経験している。

「嫌いな感情」っていうのはね、相手の問題じゃぁないんだよ。

おかしな気持ちを持つのは自分であって、相手のせいではない。

だから、上の記事に書いた彼女は正しかった。私のネガティブな感情と一切向き合わないという点で。

それが正解。

嫌われるというか、「この人嫌だな」という感情を持たれることはどうしてもある。

何がきっかけになるか、また引き金になるかわからない。

その人の問題だから。

でも、じゃぁ「嫌われる側」に問題があるのかというと、そればっかりじゃぁないんだよね。

嫌うのは相手の都合。

相手の問題。

「何をしていても気に入らない」なんて責任は、私にはとれない。

「お前が私の気分を害したんだから何とかしろ」って言われても。

そういうとき、相手は私ではなく自分自身に縛られている。

嫌いなら避ければいいのに、一方的に「課題」にしてしまっている。

私は上の一件があってから、「嫌だな」と思う相手とは距離をとるようにしてきた。

「関わらないこと」は、自分の生産性を下げないためにも重要なこと。

陰で悪口を言われていても構わない。何を言われてもいいんだよ、本当はね。

それは私の問題ではないから。

よく、「○○があなたのこと悪く言っていたよ」とか聞くと、まるで「火消しに走るように」挽回につとめようとする人がいるけど、放っておけばいいんだよ。

相手の「課題」を自分が引き継いではいけない。

関わらないこと、関心を向けないことが、一番「場が鎮まる」ことに繋がる。

そんなことより、いま自分が大事にしている人、大事にしている関係を、忘れずにいること。

やっぱりね、前向きな気持ちからじゃないと、良いものは生まれないんだよね。

私はものを書くことを生業にしているから、メンタルの維持は本当に大切だと思っている。

今回、私の仕事について外野から「嫉妬」を向けられたんだけど、そんな暇な人に付き合っている心の余裕はない。

自分の生産性を下げないためにね。

要らん口出しをしてきた知人に言った。

「知らんがな」

これがすべて。

おかしなもので、嫌われているとわかると逆にやる気が出るねぇ。

「立ち止まれない」緊張感を与えてくれてありがとう。

というわけで。

アドラーの心理学はげにまっことオススメです。


嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え


嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え [ 岸見一郎 ]

これねぇ、ほんま私にとっては「劇薬」で、めちゃくちゃ効いた。

「他者の評価を気にする=他者の人生を生きる」ことがどれほど恐ろしいことか。

「それは誰の課題か?」という視点から、自分の課題と他者の課題を分離することの大切さも学んだ。

嫌われていいんだよ。

それは自分ではなく、相手の「課題」(子どもに「勉強して欲しい」と思うのは親の「課題」であって、子どもの「課題」ではない)。

数年前に購入してから、今でもたまに読み返す。

最初にリンク貼った記事、あのころこの本を知っていれば、私は自分に枷をはめることはなかっただろうなぁ。

「嫌われるような生き方をしても構わない」じゃなくて。

「どう生きても嫌われることはあるんだから、取り合うな」ってこと。

この本は、育児や教育についてもすごく深い知見を与えてくれる言葉が多くて、これからも何度も目を通すだろうなと思う。

自分の生産性を下げたくない人は、ぜひ。


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■ 「行動」を起こさせる文章こそ最強。「人を操る禁断の文章術」
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