私には数年の付き合いになる親しい男友達がいる。
年齢は10歳以上違うんだけど、年上というよりやんちゃな中年といった感じの彼は、一緒にいてもその差を感じさせない。顔が童顔なせいもあるかもしれない。
ファッションが好きで、ドライブが好きで、音楽もよく聴くし、仕事もきっちりこなす。
バツイチで子どもがいるけど、実はそこら辺の深い事情は知らない。離婚した理由もお子さんのことも、彼が話したがらないのでこちらもあえて訊かないようにしている。
仕事関係で知り合ってから数年、たまに会ってお茶したりランチしたりする完全に健全な仲なんだけど、この「友情」が何によって成り立っているのか、ふと考えてみた。
「ここから先は踏み込まない」という距離を自然に保てる相手

例えば、よく晴れた日、私が気に入っているお店で早めのランチを食べる。
二人でメニューを覗き込んで、これにしようかあぁこれも食べたいねなどと言いながら注文し、ゆっくり食べながら他愛もないことを話す。
食後のお茶を飲んだら割り勘で会計を済ませてお店を後にし、海沿いをのんびりドライブする。
車はほとんど私が出すんだけど、たまにガソリン代を出してくれたり、私が運転に疲れたらカフェでカフェオレを奢ってくれたり、どちらかに負担のかかり過ぎないお付き合いが出来ていると思う。
気の合う異性と一緒に過ごす、こういう「一歩間違えばデートになる」雰囲気の時間って、気をつけないとおかしな甘えが出てきてしまう。
例えば私が何か悩みを抱えている時。ふと愚痴をこぼしてしまって、それを聞き入れてくれる異性の存在はとても嬉しいかもしれないけど、そこに「この人は自分のことを分かってくれる=私のことを一番よく分かってくれるのはこの人だけ」という甘えが入ると、感情が違う方向に育つこともある。
同性では得られない種類の「甘え」は、私にとっては心が熱くなるような温度を持っていて、これが生まれるとそこから「友情」は微妙に姿を変えていく。
女は頼りたい生き物で、男は頼られたい生き物で、「恋愛」ならそのバランスを上手にとって付き合っていけば幸せなんだろうけど、「友情」の場合は注意が必要だ。
なぜなら、男女だからこそ「対等」でなければならないから。
「友情」には、踏みこんではいけない感情のラインがあると思う。
仲が良くて近すぎて、つい、相手の内面を深く共有することもあるだろう。それは恋愛でも関係なく、人間関係においては大切なことかもしれない。
でも、知りすぎると取り憑かれる。人として好意がある時点で友情も愛情もどこか一緒な部分があるけど、そこを分けるのは、知ってなお「この人は友達」というラインを保てるか、「もっと知りたい」と相手の心を掴みに深掘りするか、感情を何処まで持っていくかだと私は思う。
相手への気持ちが恋愛になる時、好意は友情とは比べ物にならないような熱量を持つ。
これを自分に許すか許さないか。
「友達」を選ぶなら、好意の熱量はどうしても抑えることになる。しかも、それを自分でコントロールしなければならない。
経験上それを知っているので、仲が良いからこそあえて、自分のしんどい話は伏せるようにしている。楽しい時間だけを共有すれば良いってものじゃないけど、あまり深刻すぎる話も、距離感を保つために避ける。
距離感。
恐らく、彼も私もお互いに、「これ以上相手のことには踏み込まない」というラインを持っている。
それを自然に抱えていられるのが、「友達」なのかもしれない。
「肉体」を無視するということ

私が厄介だなと思うのは、生身の男と女である以上、「欲情」に支配される時があるということだ。
私はお酒を飲まないし夜に彼と会うことはないので、肉体関係が色濃く予感されるような時間を共に過ごすことはない。
それでも、昼間、人気のない木陰に停めた車の中で、至近距離で見つめ合うような瞬間があると、ふと彼に「男」を感じてしまうことがある。
心地よい時間というのはどうしても「欲情」を引き起こす。
目の前にある「肉体」の存在感を意識するのはお互い様で、これを上手くそらす、無視するテクニックが必要になる。
もちろん、肉体関係があってなお友達でいられるならば、そういう関係もありだと思う。
でも、「欲情」をコントロール出来なくなった時点で、友情は終わるだろう。
肉体が交わったら、必ず感情に変化が起こる。これも経験上知っている。
手に入れないからこそ保っていられる「理性」とか「常識」とか、そういうのが外れた時、訪れるのは恋愛関係に進むか破綻して他人になるか、いずれ今後の付き合い方を選択する時がくる。
その瞬間を迎えないのが「友達」という距離で、私は彼とそういう「欲情」を無視する関係でいたいなと思う。
その関係が心地よいから。
そもそも、男女の友情なんてとっても危うくて、小さい石ころの上につま先立ちしているようなもの、何かでつつかれればすぐ転んでしまう。
男と女である以上、友達なんて非生産的な関係は、本当は嘘っぱちなのかもしれないけど。
友達関係って、脳があり感情があり、理性がある人間だからこそ出来る離れ業のようなもので、生物学的には間違った関係なんだろうなとも思う。
それでも、その非生産的な関係から生まれる相手への尊敬とか、自分へ向けられる愛着とか、恋愛以外で必要とされる異性であるという(つかの間の)優越は、やっぱり人間ならではのあたたかさがある。
私は、彼に対して何度もスッピンの顔を晒しているが、彼の下着姿は見たことがない。
彼は私の指輪のサイズを知っているが、生理の周期までは把握していない。
そういう、「知らない部分」をいくつも残した状態でいられる距離感は、大人になればなるほど、得難いものだと今は思う。
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興味深く読ませて頂きました。
今共通の趣味を定期的に楽しむ異性の友人がいます。
とても尊敬できて私にはないものを持った魅力的な人ですが、お互い既婚という立場です。
先日友人と何となく『距離感』の話になりました。
友人は『誰とでもなるべく深入りしないようにしている』と話しましたが、今思えばそれは私に向けられた言葉でもあったのだと思います。
共通の趣味で楽しい時間を過ごせる異性の友人は本当に貴重だし、異性だからこそ何か間違うと一瞬で失いますね。
私は大事にしたいと思います。
大切なことを気づかせてくれました。
ありがとうございます。
とても興味深いテーマです。
今、私には友達と言えるのかわかりませんが、異性で連絡を取り合っている方がいます。
お互い既婚者同士で、家族構成も似て、趣味もあいこの年齢で、出会えた事に感謝したい貴重な存在です。
ただ、私が恋愛体質で好きを間違った方向にもっていってしまいました。
彼に、長く付き合っていきたいから、そういう関係にはなりたくないという拒絶をされ、今現在にいたります。
縁を切られなかった事に、感謝して距離感を保ちつつ友情を育んでいきたいです。
ただ、毎日連絡取り合うと錯覚を起こしてしまうので気をつけないといけないと思いました。
とても参考になりました。