
結婚前の恋愛なんだけど、すごく仲の良い男友達がいた。
ほとんど毎日メールもするし、二人でご飯も食べに行くし、趣味も似ていて何でも話せる仲。
私は彼にとって一番近い人間だろうという自負があった。私以外の女性とそこまで親しくしている様子を見たことも聞いたこともなかったし、周囲もそういう目で私たちを見ていた。
ただの「女友達」じゃないと思うのは、彼のすごく深い悩みを打ち明けられていたから。
もし自分だったら、こんな話、よっぽど信用している人にしか話せない。そんな内容のことを、私は彼と共有していた。よく二人で話し合った。
いつの間にか、私は彼を好きになっていた。
自分は彼にとって特別な存在である、という錯覚。性の匂いを感じさせない付き合いは一年以上続いていたけれど、いい加減じれったくなった私は、ある日思い切って彼に告白した。
「私、あなたのことが好きみたい」
だけど、次の日の昼間に返ってきたメールは、
「今は(その悩み)のことで頭がいっぱいで恋愛は難しい。あと数年は無理」
というものだった。
・・・え、何で?
私のこと、好きじゃなかったの?
あんなに二人で過ごしたのに。こっそりおそろいの服を着たりすることもあったのに。何でも話していたのに。
フラれた、という事実が受け入れられずにパニックになった私は彼から離れた。追いすがることもできなかったし、これ以上かける言葉はなかった。
結局そのまま音信不通になってしまい、しばらく経って気がついた。
・・・そうだ、彼は、決して恋愛感情を私に感じさせることはなかった。
人間としてはきっと好きだったと思うけど、彼にとってそれは「愛情」とは違ったんだ。
決定的な言葉がひとつもなかった、ということに思い至って、すごく恥ずかしくなった。
どんだけ勘違いしていたんだろうと。都合よく解釈していたんだろうと。
結局、彼が望んだのは、どこまでも友達としての繋がりだけだったのだ。
男にとって、「友情」と「愛情」の違いはすごく曖昧なもの

彼は決して思わせぶりだったわけではない。
私に恋愛感情を持っていると勘違いさせるような言葉は一つもなかった。そして、私から感じていたであろう恋愛感情も、「沈黙」という答えをいつも返していた。
それを私は都合よく受け取ってしまったのだ。「恥ずかしいのかな」「分かってくれてるよね」「拒否しないってことは同じ気持ちなんだよね」。
私の気持ちに気がついていて、それをかわしながら関係を続けていた彼の意図は、今となっては分からない。
いつか告白されるとは思わなかったのか。このままずっと「友達」でいたかったのか。
分かるのは、私を失いたくなかったんだということだけ。
異性の友達って、同性よりずっと貴重なものだと思う。
女性は割と簡単に親しくなれるし、深い話を打ち明けるのも早い。だけど男性は、弱い部分を見せることをいつでも抑制する部分があるから、同性であっても心を許すには時間がかかる。
私たちは会話を重ねて親しくなっていくけど、男性は行動を積んで信頼を得ていく。
会話を引き出す女性を相手にすると、つられて自分のことも語ってしまうのかもしれない。女性は自己開示が上手いから、普段話したくても話せないという男性の心を刺激する。
彼は、内向的ではないけど警戒心の強い人で、同性の友達は少なかった。だから、いつも笑顔で話しかけ、メールでも行動でも変わらずはっきりと物を言う私は、「頼れる人」だったのかもしれない。
精神的に頼る、弱い部分を見せられる女性というのは、そこに拒否されないという安心感があるからこそ、人間としての好意が増していく。
「友達」として好き、と「恋愛感情」として好き、の違いは。
やはり、相手への関心の深さかもしれない。自分を受け入れてくれる相手に対して、自分もどこまで関わろうとするか。どこまで知りたいと思うか。
知る、ということは、それだけ相手を受け入れることだから。
相手の情報が増えれば増えるほど、考える時間や思い浮かべる時間が長くなる。そしてもっと知りたいと願う。近ければ近いほど、情報を手に入れることは容易だし、また自分のことも話していくことになる。
そうして、どんどん距離が縮まるのだ。避けられない。
「距離感」が曖昧になる瞬間。
「友情」と「愛情」の線引きは難しくなる。
そうなればいつか必ず、関係が変わる日がくる。
それは、「失うことを恐れなくなったとき」かもしれない、と思う。
「今の関係を壊したくない」「告白すればこの楽しい関係が終わってしまう」。そういう不安があるうちは、恋愛に向かおうとする心を封じるだろう。自覚してもなお、ひた隠しにするだろう。
「失うことになってもいいから、好きな気持ちを伝えたい」と思ったときに、曖昧だった友情と愛情は差をなくして新しい熱を手に入れ、「恋人」という関係を望むのだと思う。
先にそれを願ったのは私だった。
でも彼にとっては、「まだ早い」というのが答えだったのかもしれない。
確かに簡単に「恋人」に昇格できるような状態ではなかった、とも思う。彼の事情を考えれば。
でも。でもね。
男性は、どんなにその時が忙しくても、大変な時であっても、本当に好きな女性から告白されれば必ず応える。
愛情を受け入れることは、男性にとっては「責任」がつきまとう。だから「好き」と簡単に口にしない男性が多いのも分かる。
つまり、彼にとって私はまだその覚悟が完了するような相手ではなかったのだろう。
私は、彼との距離のとり方を間違えた。彼の「無言の答え」を都合よく解釈するんじゃなくて、「無言である理由」をもっと考えるべきだった。
男性は「言葉より行動で示す」のは本当だと思うけど、同時に「責任が生じるようなことは気持ちが伴わないと言わない」のだ。
「距離感」というのは、一方だけが詰めてもダメになる。
お互いこれ以上踏み込まない位置にいてこそ保てるのが友情で、もしそこから動くなら、歩み寄るなら、一緒に歩調を合わせていくのが理想なんじゃないかと思う。
だから成立することが難しい、男女の友情

彼は私を失いたくなかったんだろう。
私から友情じゃない気持ちを感じた時に、もし嫌だったら離れたんじゃないかなと思う。
嫌ではないけど、応えられない。でも友達でいたい。
今になって思うのは、彼自身も、ひょっとしたら苦しんだり悩んだりしたのかもなぁ、ということ。
私はいつも明るく振る舞っていたから、彼がそれに安堵しているのは分かっていた。微妙に伝える愛の言葉をかわされてもそれでも私は笑顔で話しかけていたから、大丈夫だろう、続けていけるだろうと思っていたのかもしれない。
要は私の気持ちに甘えていたということ。
それを私は「彼も同じ気持ち」なんだと一方的に勘違いしていたということ。
だから、距離感を間違えるとこうやっていつか破綻する。
男女の友情なんてものが成立しないのは、どちらかが恋愛感情を持った時に、同じように歩み寄ることは稀だからかもしれない。
違う人間なんだから、同じタイミングでお互いに踏み込もうとするなんて、奇跡なのかもしれない。
簡単に友達から恋人になれるパターンっていうのは、最初から恋愛関係になることをどこかで前提にしているから。
お互いが良い意味でそういう「下心」を持ってスタートしていれば、展開も早いだろう。距離を縮めていくことも心地よい刺激になるだろう。
そうじゃない時は。
相手の言葉や行動をよく見て考えること、近づきたがっている心から自分に都合の良いフィルターを外すこと、そして何より、相手の意思を尊重すること。
もし相手が「まだ早い」と思っていると感じたら、自分の気持ちを抑える必要だってある。今の関係を続けていくために。
ただ、「今の関係を失ってもいいから気持ちを伝えたい」という瞬間は割とあっけなく訪れたり、思いもよらない時だったりするから、人間の心って制御できないんだな、とつくづく思う。
彼はどうしているだろうか。
あの時、私が我慢できていれば、彼の気持ちを理解できていれば、また違う現実になっていたのかもしれない。
失ったものは、自分の恋心と、安心して素を出せる異性の相手という貴重な存在だった。
ほんのわずかでもいい、彼が私のことを懐かしく思い出してくれる瞬間があればなぁと、今は思う。
■ 男女の友情はあり得るのか?・・・「距離感」と「欲情」の話
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