「恕 ひとに求めない生き方」は、人間関係で苦しんでいた時に出会った本です。
割とよく会う友人に、他人の噂話や悪口が大好物の人がいて、会えば必ず他人のプライバシーをべらべらと話されることが苦痛でした。
彼女自身は幸せでない恋愛に長い年月悩んでいて、そのストレスの発散であることは一目瞭然だったけど、私のことも、良い顔して近づいてくるのに他の人にはいろいろと悪口を言っているのを知っていたので、お付き合いが本当にしんどかった。
苦しい時は「言葉」に解決を求めてしまう私は、この時もネットでいろいろと検索していて、たまたまこの本を見つけました。
「恕」とは、中国・春秋時代の思想家である孔子の言葉で、弟子に対して「己の欲せざる所、他人に施すなかれ」と話したことが由来となっています。
自分がして欲しくないことは、他人にもしない。
「恕」とは、おもいやりの心。
この本は、他人を思いやり、赦し、許容する心、「人徳の心」を学ぶことが、人生を豊かにするのだと説いています。
私が最初に一番引かれたのが、
徳ある人間は人を責めず、悪口や陰口を言うこともなく、他人を揺さぶることもしない
という章。
他人を貶めて自分が優位に立ったような錯覚を覚えても、結局、不徳なことは巡り巡って自分に返ってくる、悪口などは自分を余計に苦しめる結果になる、ということ。
上に書いた彼女は、周りの人から「スピーカー」と呼ばれ、敬遠されている。彼女自身も噂話の対象になっている。
上辺だけにこにこと会話が出来ていても、本当に良い人間関係を築けていないのは彼女の徳性が低いからであって、これを読んで納得しました。
また、彼女のことを恨んだり憎んだりすることも、自分自身が疲弊するだけであり、無益なんだなと思いました。
「赦す」「許容する」ことは、自分が嫌な思いをしていればなかなか難しい。
でも、自分の徳性を守るために、同じように悪口を言ったりするのではなく、その場から立ち去る勇気が必要なんだと思いました。
以来、彼女とは距離を置いて接しています。
何をどう言われても、自分のために。

心の在り方に関しては、
自が大きいと書いて臭い。
自分を大きく見せると、臭くなる。
という言葉もあります。
とかく見栄を張りがちな私には重たく響く言葉で、自分の器以上に大きく見せようとすると、鼻につく人間になるんだな、と自分を振り返って思いました。
自分の「適量」を知り、謙虚でいれば、臭うこともない。まったく努力しないこともいけないけど、「出来ること以上に見栄を張る」こととは違う。
これも、いずれは自分に返ってくる「不徳」であり、周囲に認めて欲しいという我欲こそが自分を苦しめているんだと気が付きました。
「ありのまま」でいられない苦しさは、自分を大切にしていないから。
自分自身と向き合うことが出来なければ、自分の器を大きくすることだって出来ないんだと思います。
周囲の声ではなく自分の声を聴くこと。まずはここから始めたい。
心の在り方で自分の人生は大きく変わります。
子どものいる私にとっては、人徳の心は自分たち親が見本となって示していかなければとも思う。
そのための道標のようなものを、この本が示してくれています。
この本は、一つの言葉につき見開き1ページなのでとても読みやすく(ちょっと物足りないくらい)、迷ったり悩んだりした時はいつも開けるように手元に置いています。
「ひとに求めない」というのは、他人に満足させてもらうのではなく、自分で自分を幸せに出来るんだということ。
本当の思いやりは、自分に対して必要なのかもしれません。
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