40代の女性と50代の男性の話。
それぞれバツイチで子持ちの二人は、気が合うし同じ趣味で話も盛り上がるし、見ていると楽しそうでお似合いだなと感じていた。
女性のほうに、ふと「付き合ったりせんの?」と尋ねたら、
「うーん、お互いに子どもがまだ手を離れていないしね、付き合うって感じじゃないなあ。
それより、今の友達関係のほうがずっと楽しいし、切れないでしょ」
とあっさり返された。
でも、男性の子を連れて三人で食事に行ったり、また女性の家に男性を呼んで女性の子どもとご飯を食べたり、なかなか密な関わりだなと思う。
そういう近い距離感を崩さずいられることが、すごく羨ましかった。
あるとき、この女性から「○○(男性)に抱きしめられた」と打ち明けられた。
「え、ついに一線超えちゃったの?」
と訊いたらそうじゃなくて、男性が仕事のことで悩んでいて、それを聴くためにドライブしていたら休憩中に手を伸ばされたらしかった。
「広い路肩ってあるじゃん、駐車できて自動販売機とかあって。
で、そこでジュースを買ってさ、クルマに戻ろうってタイミング。
さんざん愚痴を吐いてたから、疲れて甘えたくなったんだろうなって思った」
と、女性は”特に不快感もなくされるがままでいた”そうだ。
「……○○(男性)は何て言ったの」
「何も言わなかったけど。
別に、そういうときもあるでしょ」
女性はあっけらかんとした様子だったが、ああ確かに”そういうとき”が生まれるつながりだもんな、と思った。
ふとした瞬間に気が抜ける、肩の力を抜いていられる人の存在に気がつくと、そこに甘えが入るのは本当にあっけない。
肉体関係がないからこそ、純粋に心の近さを実感して体が動くのだ。
「こうしても許されるだろう」
という甘えは「許してほしい」って願いであって、もっと言えば「叶うことが前提と直感でわかる」から動ける。
特に狙ったわけじゃない、本当に「そうしたい気持ち」に逆らえなかっただけ。
で、相手のほうも願い通りに拒絶しなかった。
だが、無意識に体がつながる瞬間は、やった側も受け入れた側も、そこでいったん”区切り”を持つ。
第三者の私にそれを打ち明けるのが証拠で、彼女は二人の関係に新しい熱が生まれたことを実感しているから、人に話すことで気持ちの整理をしたいのだ。
「何か、アレか、このままズルズルいっちゃう感じか」
そう尋ねたら、
「いいやそれはない。
あれからあの人はまったく手を出してこないし、私の気持ちを無視したらどうなるか、よくわかっていると思う。
でも、あれからね、二人きりで会うときに緊張するのよね、私が」
と、目をそらしながら言った。
もぞもぞと腕を動かす様子を見ていると、「そういうときもあるでしょ」と言い切った割に気にしているのだな、とわかる。
体のつながりは、そのまま二人が先に進むのであれば恋人関係になるってことだ。
そう思うから、今まで”あえて”意識してこなかった恋愛関係について、突然針が振れてしまって動揺しているのだ。
しかも、自分が誘ったのではない、動いたのは男性のほうだから余計に「それからの出方」が気になる。
ああ、曖昧になった、関係がグレーゾーンに入った。
これまではお互いにはっきりと「友達」と言い合えていたのに、ニュアンスが変わってしまった。
それを自覚してしまえば、次に来るのが
「自分はこの人とどうなりたいのか」
っていう本音で、ここが定まらなくて居心地が悪いんだろうな、と思った。
その夜からの男性の態度について訊いてみたら、以前と変わらず気軽に電話してきていろいろな話題で盛り上がり、特に恋愛感情を示すような言葉はなく、またいきなり距離を縮めてくるような不躾な質問もしないそうだ。
一方で二人きりで会う機会を微妙に避けてもいて、お互いの子どもたちがいないと知っている週末の夜、これまでは居酒屋の個室で飲もうと女性を誘うことが多かったのに、「○○と約束が入っていて」などわざわざ予定を話して距離をおいていた。
「あー、向こうも緊張してるんだね」
「うん、そうだと思う。
あと、私がね、この間会ったときにちょっとぎくしゃくしちゃったから、それも気にしていると思う……」
ふー、と女性はため息をついた。
「変えた側」になった男性は、どんな気持ちなのだろうか。
ハグを拒絶しなかった時点で、彼女への信頼は増しただろう。
同時に、「受け入れられた自分自身」はこれからどう彼女の前で振る舞っていけばいいかを考える必要が出てきた。
信頼は友情が基礎だったけれど、「友達ならしないこと」をやってしまった自分がいる。
いま、俺たちの関係はまだ「友達」と呼べるのか。
彼女は俺のことを友人と思ってくれているのか。
本当は俺のことを軽蔑しているんじゃないだろうか。
彼女を悩ませてはいないだろうか。
だから、今までと同じように接触することで彼女の状態を確認するけど、二人きりで会うには勇気が足りず、「友達」の距離感をはかっているのだろうと思った。
「嫌いじゃないんでしょ?」
そう尋ねると、彼女は目を開いて私を見た。
「まさか。
嫌うなんて、それはない。
ただ、これからどうしようって、このままだとしんどいなぁって、それだけ」
そうなんだよね、友達だと思っていた男性にいきなりハグされてもそれが全然イヤじゃなくて、関係を切る方向にはまったく心が動かなくて、「つながりを続けたい」と思うから悩むんだよね。
触れて嫌がらなかったのをいいことに、都合のいい女に据えるような男じゃない。それは私も知っている。
対等な目線で会話ができて、たまに衝突しても話し合って解決して、大事に育ててきた縁なのだと思う。
でも、男と女である以上は「違う関係」に進む可能性があって、そこから目をそらさないと友達なんて続けられないわけで、その夜の一瞬であっけなく崩れた何かがあって、以前とは変わってしまった二人の状態。
「もう戻れないのかもしれない」という不安が、今の二人を苦しめているのだ。
否が応でも、「違う関係」が浮かんでしまう。
そしてそれは、「終わらない前提だから選んできた友達関係」を壊すことになる。
恋愛関係になれば、恋人になれば、”終わる結末”を考える。
どうしてかって、大人の私たちは、恋愛は終わるものだと身をもって知っているからだ。
二人とも、あの夜の自分たちにそれを見てしまって、葛藤しているのかもなあ、と。
「失いたくない」と思えば思うほど、変わることが怖くなる。
それでも、以前と同じにはできない。
大切な人だからこそ。
やってしまったことはもう消えないのだ。
関係の曖昧さを”楽しむ”なら、どうしたってその状態を二人とも良しとする器量がないと難しい。
でも、その”確認”はできない。
いちいち承諾を得るようなものじゃない。
どこかで「暗黙の了解」「言わなくてもわかるでしょ」が発生するから、二の足を踏むことばかり増える。
苦しいよねぇ。
で、結局この二人は、グレーゾーンを受け入れることができた、のだと思う。
「人としてね、あの人のことはすごく好きだし、信頼してるの。
私を大事にしてくれるのもわかるし、切りたくないのよ。
どうなるかわからなくても、今の関係をちゃんと見たい」
彼女はこう繰り返していたけど、いま大事なのは「答え」じゃなくて「どうしたいか」、その本音を失わなかった。
その先は、まだ見えていないのだと思うし、今すぐ決めるものでもないだろうね。
そして、男性のほうは、彼女の態度を見て安心したのだと思うけど、また昔のように二人きりで会う時間を増やしたそうだ。
「曖昧さを楽しめる人」が手にしているのは、相手と自分への信頼。
どんな終わりを迎えても後悔しないために、グレーゾーンを正面から受け入れる強さが二人にはあるんだろうなと見ていて思った。
それがどう進むか、曖昧ななかで掴む新しい熱を楽しんでほしいなぁ、と。
数年前のことだけど、やっぱり自愛と尊重だよなと思った話。
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