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実際にスクショや画面を見せてもらうことがあるけど、依存体質の人の思い込みの激しさはLINEに如実に現れるなと思う。

何の脈絡もなく突然「あなたのフェイスブックの投稿を読みました」ととんちんかんなメッセージを送ってきたり、「あれって私のことですよね?本当に申し訳ありません」と一方的に”書かれた側”として謝罪してきたり、その人の言葉が自分あてに違いない、と思っているのだ。

不安を覚える文章があったなら、まず「あれって自分のこと?」と尋ねるのが筋で、それをしないのはとにかく「真実を避けてただ愛される自分が見たい」があるからだと思う。

「自分のことに違いない」と思い込むのは”そうであってほしい”という願望で、相手の感情がたとえ悪いものであっても自分に向いている、関心があると思いたくてたまらないのだ。

謝れば許してもらえるだろう。反省している姿を見せればこの人は「いいよ」「大丈夫だよ」と返してくれるだろう。
「書かれていることが本当に自分についてか」は絶対に確認せず、「相手にされる自分」がほしいという自己愛だけでおかしな謝罪を押し付ける。

しかもその人に隠れてこそこそと投稿をチェックしているわけで、そんな自分が相手にどう思われるかがまったく頭にないし、突然の謝罪で「反省している自分アピール」をしたいのがよくわかる。

だから相手は混乱する。
別の人のことなのに勝手に勘違いされる気持ち悪さ、突然「あなたに黙って投稿を読んでいます」と知らされることの恐怖、そして「反省している弱いワタシ(それでも愛してネ)」を見せつけられるおぞましさ。

たとえば本当にその人のことを書くとしても、名前も出さなければ特定される表現も使わない。
まともな人ならそういう配慮を欠かさないだろう。
それを「自分のこと」と信じ込んで疑わない強迫観念の深さにぞっとするのだ。

まさに執着を目の当たりにすることで、「書くことすべてがこの人にとっては自分についてと思われる」現実は、本当にうんざりするし嫌悪感しか湧かない。

こんなことで「決定的にこの人が嫌になった」という人は男女関係なく多くて、フェードアウトするかブロックするか、その後の関係がいい方向に向かった話は聞いたことがない。

依存体質の人は、自分が送るメッセージが相手にこんな負担をかけている事実を絶対に想像しないし、「責められて可哀相な自分」「そして謝罪する誠実な自分」しか見えていない。

依存体質の人に「変わる気がない」とつくづく感じるのは、どれも「次からこうします」がないことだ。

あるのは「こんな自分でごめんなさい」だけで、「反省したから次は○○しますね」とか「これからは気をつけます」とか、今後について改善する気がまったく見えない。

読まされる側にとっては

「で?」

でしかなく、つまりこちらが謝罪を受け入れて「これからはこうしてね」まで言わないといけない、”伝えてあげないといけない”という絶大なプレッシャーを抱えるのだ。
”そうしてネ”とほのめかすのが、依存体質の人のやり方なのだ。

実際にこういうLINEを送る男性と話したことがあるけど、見えるのは「謝罪は誠意の証」と思っていることで、もっと言えばそれしか考えていなかった。

「自分はこの人にとって悪いことをした、だから謝るのが筋」。

うんわかる。

で?

先を促すと黙るのだ。

とりあえずで謝っているわけではない。
当人は本当に「自分が悪かった」と思っている。

しかし”その次”がない。

つまり、「自分は誠意を見せたのだから、次は相手が動くべき」と思っているのがよくわかる。

こういう人の「次」とは、

・許すこと(謝ったのだから)
・これからも変わらず愛し続けると伝えること
・そちらが満足するやり方を教えること

など、要は自分で改善案を考えるのではなくすべて相手が負担するべきであり、どこまでも「自分は愛される側」なのだ。

まともに愛情を向ける人ならね、悪いことをしたと自覚するのなら自分が変わるんだよ。
それが「解決」だもの。

「これからはこうする」を提案したうえで、一緒にストレスのないやり方を考えるのが対等じゃないの?

「自分は間違えた、だから”正解”を教えてほしい」

っていうのはね、問題を放り投げてるだけなんだよね。
しかもそれすらはっきり言わず、相手に「この気持ちを汲んで答えを返してネ」とほのめかす。

で、こういう依存体質の人はLINEのメッセージを既読スルーされている、「受け入れて次に進む言葉」がないことを怒るのもよく見る。

一方的に謝っておいて、それが見当違いかもしれない可能性をいっさい考えず、「誠意に応えない」ことのみを責めるのだ。

「自分は愛される側」として謝罪しているのだから、次は「あなたがこちらを許し、愛していると伝えること」のみが正解なのだ。

どこまでいっても解決にはつながらない。

それは自分の役目ではなく、「私(俺)の誠意を見せられたあなたが考えること」なのだ。

「謝罪は誠意の証」と信じて疑わない人の誤算は、

「それは誠意ではなくただの押しつけであり、まず相手の真意を知って”次”を考える姿勢がないと、相手は嫌悪と負担から離れる可能性が高い」

ということ。

交際相手でも片思いでも、こんなLINEを送る人は本当に注意したほうがいいと思う。

相手に隠れてこそこそと投稿をチェックするのはいいが、それを伝えるだけで嫌悪を覚える人が一定数いることや、「弱い自分」を見せられてうんざりする人がいること、「もう関わるのはやめよう」とフェードアウトを決める人がいること、そしてそれらすべてを「あなたに責めることはできない」のが対等だということ。

愛されたいのなら、その証拠を手にして安らぎたいのなら、正面から向き合うしかない。

不安を覚えたことは普通に尋ねればいいし、そこで相手がどんな対応をするかで自分への誠意がわかる。

その場面を避け続けて「愛される側」を望んでも、まともな人ほど依存体質を嫌って逃げていく。

「謝罪は誠意の証」と思うのなら、「いい関係を築くために”次”を考える」こともセットで持つのが愛情だと私は思う。

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