過剰な嫌悪は自分に「枷」をはめるって話

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私の話。

男にすりすりと媚を売っては、周りに構ってもらうためにあれこれと画策するタイプの女性が大嫌いで、そういうのが身近にいたのである時からスルーすることに決めた。

コミュニケーションの密度が濃くなる場所にいたため、避けることは難しかったが、恐らく誰が見ても私が彼女を嫌っていることは丸わかりだっただろう。

決してあからさまにその女性を貶めるような振る舞いはしなかったが、とにかく生理的に受け付けないくらい苦手だった。もちろん挨拶もしなければ会話することもなかった。

もちろん本人も私に嫌われているのは分かっていたと思うが、それを彼女自身が表に出しておかしな態度をとるとか、そういうことがなかったため、表面化することがなかった。これはいま思えばとてもありがたいことで、ともすれば陰口の叩き合いになるところを、彼女はそれをしなかったんだと思うと、彼女の方が一枚上手だったと、認めざるを得ない。

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過剰な嫌悪は自分自身を縛る枷になる

誰だって嫌いな人や苦手な人は一人や二人いると思うけど、私の場合「嫌悪」という感情は隠しにくいのが厄介で、どうしても素でいることが難しい。

周りには、裏で「あの人のこと大嫌い」と言いながら表では愛想よく挨拶なんか出来る人がいて、それはそれですごいなぁ(でもこの人信用出来んなぁ)と思うけど、お喋りの輪の中で共にいることすら苦痛になる私は、どうしてもこの「苦々しい気持ち」というものを上手く扱えない。

もしかしたら、どこかでひがんだり妬んだり、という部分があるのだと思う。

結局、嫌悪というのは「自分にはないものを持っている」とか「自分には出来ないことをしている」とか、そういう自分に不足しているものを手にしているから気に入らないという部分も少なからずある。

私は単純にひたすらあの「男や周りに媚びてゴマする姿」が嫌だったんだろうなと思う。

それは私が出来ないことだから。
私はただの八方美人で、愛想は良くても決して上手く人に取り入ることは出来ない。でも彼女は女の武器やら何やら使って、人の視線を集めることに必死だった。そうやって欲しい男を上手く手中に収めた姿なんか目にすると、その手に落ちた男のことすら嫌悪するようになった。

そうなると、窮屈になるのは私の方で、彼女がいると分かっている場所に行こうとする度に重たい気持ちになり、思いがけない場所で会ったりするとショックを受けて気が沈んだり、そして彼女への嫌悪感ばかり育っていってしまい、最終的にそこに彼女がいるだけで落ち着かなくなる。

意識しすぎるあまりに態度がおかしくなり、それを見た周りに与える印象もまたおかしくなってしまう。

彼女の方は、私の存在はもちろん気にはなるだろうが、だからといって何かことさら振る舞いを変えるようなことはなく、恐らく「気にしないフリ」を通していたんだろう。

結局、自分で自分に「枷」をはめるようなもので、嫌悪が募れば募るほど、それは我が身を縛って苦しめることになる、とつくづく実感した。

最終的に彼女は私の近くからは消えていったが、私からの嫌悪を上手くかわしていたため、お互いに何かをはっきりと意識することなく最後まで過ごすことが出来た。

あの頃の私は相当に大人気なく、またバカだったと反省する。

表に出さないと気が済まなくなる前に

ろうそく

嫌悪感が高じてくると、必ずそれを表に出したくなる。

私の場合は、彼女の悪口だった。
とにかく誰かに私の気持ちを認めて欲しい、賛同して欲しいという欲求、イコール「彼女を嫌う私は間違っていない」という正当性が欲しいばかりに、周りを巻き込んでしまった。

同じように彼女のことを悪く言う人は他にもたくさんいたが、これだって、最終的に自分がもし彼女への認識を改めた時、反省した時、それを表に出すことが難しくなる。「え、あんなに嫌っていたくせに」と今度は私が言われることになる。

つまり、これだって自分が自分にはめた「枷」になるのだ。

あぁ嫌だな、と思ったら、離れるにかぎる。

意識し過ぎないように、とにかく近寄らないこと。

何か直接的な原因がなくても、ただ気に入らないという場合もあるかもしれない。
その時もやっぱり同じで、心にちくりと黒い種を感じたら、それが芽を吹かないうちに摘んでしまえる術を、持てたら良いんだろうなと彼女の件以来私は思っている。

表に出せば角が立つ。

それは裏返せば、自分自身の評価を下げることになる。

私はあれ以来、陰口の多い人からも距離を置くようにしているけど、とにかく自分で自分の価値を下げるような真似だけは、避けるべきだと思う。

観察してみると面白い

もうひとつ、これは彼女が視界から消えて数年経った後、しばらくぶりにその姿を見かけた時なんだけど、自分でも意外なほど、彼女への気持ちは薄れていた。

もちろん、だからといって今更親しげに声をかけるなど出来るはずもないが、こうしてじっくりその姿を見ていると、冷静にどこが嫌だったのかが理解出来た。

結局、嫌悪で目の曇った私には彼女の一挙一投足が気に入らなかったが、こうして落ち着いて見ていると別にそこまで気になることなど何もないのだ。
あの頃と同じように男に媚を売る部分は変わっていなかったが、それだって、彼女の問題であって他人である私には一切関係のないこと、ていうかあれくらい可愛げのある態度が私にも必要なのかもなー、などと思っていた。

誰かを利用しないと輝けない自分って虚しくないか、と言いたくなったけど。

あの頃、やみくもに彼女を視界から消すことばかり考えずに、頭を冷やして彼女を観察することが出来ていれば、あそこまで自分が苦しむこともなかっただろうな。

なので、苦しい時は、いっそその人を思いっきり観察して、嫌悪の塊をじっくりほぐしてみるのもいいかもしれない。

 

過剰な嫌悪は自分に枠をつける。

嫌いな人など作らないことが一番幸せなんだろうけど、それが無理な時は(ていうか無理だろ)、自分で自分を苦しめる前に、距離をとって観察してみることをオススメします。

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