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私のブログは割とキツいことをガツガツ書くので、読んでくれた人から「実は男が嫌いなんだろう」とか「そこまで言わなくても」とか、諌めるようなメールが稀に届く。

そのなかで、気になったのが

「何でもすぐに自分の本音を決めないといけないのか。

曖昧さを楽しむ余裕を持ったらいけないのか」

と尋ねてくる男性で、ああその視点がなかったな、と反省した。

メール、本当にありがとうございます。

個人的に、曖昧さ・関係のグレーゾーンを”楽しめる”って、自分に自信のある人や自己肯定感の高い人だけだと思っている。

「どうなるかわからない二人の状態」は、言い換えれば「恋愛感情を持っているのはこちらだけで、相手は友情や利害で自分に好意を持っているのかもしれない」って可能性を否定しないことで、その強さには「それでもこの人とのつながりを続けたい」という前向きな意思が必要になる。

心を委ねるためには、「どんな結末になっても大丈夫」「好かれるために努力しよう」と思うことが必須で、「自分だけ好きだった」の現実を受け止めること、自分の愛情が報われずに終わってもいいとできる自分への自信が欠かせないと思う。

100回言うけど

「その人を好きな自分を好きになる」

ことができなければ、望む結末があっても引き寄せるのは難しい。

曖昧さに安らぐって、二人が対等に平等に「それでもいいと思える状態」でしょ。

楽しむことがすでに能動なんだから、後ろ向きな心じゃできないよ。

それが”余裕”で、関係を相手任せにしない心が伝われば、相手も同じく自立した心で向き合ってくれる。

人は鏡だから、「何もせずにただ受け身で関心を持たれるのを待つ姿」を見れば自分もそうするし、反対に「積極的に好意を伝えてお互いのことを理解しょうとする姿」であれば、自分も感情に従って行動できるんじゃないかな、と。

0か100か、白か黒かの極端思考ですぐに相手に”決断”を迫る人は、何より自分のことが好きじゃないから「報われない自分」を見ることに耐えられない。

「関わるなら全部よこせ、そうでないならいっさい関わるな」

の閉じた心でしか相手を受け止めることができない。

「この人のことをどう思っているのか」
「この人とどうなりたいのか」
「どんな自分でありたいのか」

をはっきりさせてしまうと、それが叶わなかったときに絶望するから、「先に相手にとっての自分を見てから気持ちを決める」みたいな不毛なことを当然とする。

「曖昧さを楽しんだらいけないのか」と問われたら当然「いいと思います」になるけれど、それって実はすごく難しいことで、自分の本音から目をそらしている人ほどできないのが現実だ。

「結末を今は決めなくてもいい」を自分と相手にも許せる人しか、経過に時間をかけることはできないからだ。

「中途半端」と「曖昧さ」は違うと私は思っていて、「好かれているはず」と思い込みながら小石を投げる人と、「今の状態でもしっかり自分の気持ちを伝えていこう」と正面からデートに誘える人では、たどり着く結末は当然変わる。

関係を相手任せにして愛される自分ばかり欲しがる人と、どう思われていてもいいから好きでいたい人では、コミュニケーションの質が違うとはっきり感じる。

「曖昧さを楽しむ」が「自分の決断から逃げていい」って勘違いになると、最終的に応えてくれなかった相手を責めたり恨んだり、につながる。

そういう現実をきちんと見る、受け止めることができない人が”極端に””今すぐ”愛情の証を求めるのであって、そんな自分が遠ざけられて「やっぱり愛されなかった」だけが残る、なんてよくあることだ。

「この好意は友情か愛情か」
「自分がこの人と一緒にいたいと思うのはなぜなのか」

みたいな自問はね、「曖昧な気持ちを自分に許す」状態なだけでね、それを無理にはっきりさせなくちゃいけないとまでは思わないよ。

「これは恋愛感情に違いない」って思い込みも怖いしね、「”曖昧な自分”を楽しむ」のは当然アリだと思うんだよ。

それはどんな意味であっても愛情を育てる期間でね。

で、「今の私(俺)たちって、いったいどんな関係なんだ」「これからどうすればいいんだ」って疑問が浮かんだとき、グレーゾーンを自覚したときに、

「どんな結末であっても後悔しない」

って姿勢が「曖昧さを楽しむ」ベースになるんじゃないの、と思う。

結局、主体は自分なんだよ。

「グレーゾーンを楽しんでいるフリ」の人も多いけど、実際は駆け引きだらけだよね、伝えるより受け取ることに躍起になって、まず愛される自分を欲しがるから結局は破綻する。

そんな人に限って自己肯定感が低いのは、ほかの言動でわかる。

自分に自信を持つ、自分を好きになるって、ほんと陳腐な言葉だけど、これがなかったらうまくいかないんだよね。

関係の曖昧さを楽しむためには、相手を積極的に受け入れる・自分の好意を素直に見ること。

感情に従えることが自愛だからね、と。

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