人間関係は「鏡」だとよく思う。
「似たもの同士が集まる」って本当のことで、前向きな心を持った人間は同じように前向きな人間と仲良くなるし、ネガティブな人間にはネガティブな心を持った人間が集まる。
ふと、自分の周りを見回したとき、自分の近くには誰がいるか、慕ってくれるのはどんな人か、それは紛れもなく自分が作り出した環境なんだと実感する。
自分を愛せるのは最終的に自分だけ
失恋したとき。
結婚するまでの私は、恋人との恋愛をいつもちゃんと終わらせることが出来ず、激しい感情をぶつけては相手を疲弊させて、最期は拒絶されることを繰り返していた。
メールや電話を着信拒否されるなど当たり前のことで。
愛していた人から疎まれる、というのはアイデンティティが崩壊しそうなくらい恐ろしいことで、その度に、私はほかの男性に逃げていた。
誰か、私を愛して。
自分がちょっと好意を持っている相手でもいい。好意を見せてくれる相手でもいい。
誰でもいいから、私を愛して。
そんな風に痛みから逃げ回っても結局最期は一人ぼっちで。
夫と出会い、入籍し、安定した結婚生活を5年送ってきた今、40歳を前にして思うのは、「自分を愛せないから孤独だったんだな」、ということ。
自分への愛情を他者に求めてしまうと、価値をその人に委ねることになってしまう。
その人に愛されなかったら自分はもうダメだ・・・・そんなことは決してないのに。
誰かとの関係が破綻した時。
苦しくて愛してくれる人が欲しい時。
まず、自分が自分を愛せるようになりたい。
若いころは、そういうことをネットや書籍で読んでも「え、何それ」と鼻で笑っていた。自分で自分を可愛がるなんて、どんだけ淋しいの、と。
「他人から愛されてこそ価値のある自分」。
結局、多くの苦しみはここにあるんじゃないかと思う。
好きな人に愛されている、友達に囲まれている、それが「素敵な人間」=「他人から見て魅力的な自分」。
そうじゃぁない。
片想いであっても、心を開ける友人がたった一人しかいなくても、自分をちゃんと見ていて認めてあげることが出来ていれば、決して孤独ではない。
「自分で自分を愛することができてこそ、価値のある自分」。
異性だけでなく同性にもモテる人というのは、自分の価値を自分で決めている人だと年をとってよく思う。
私が尊敬する年上の女性の方もまさにそうで、いきいきとした笑顔で常に胸を張って生きているのは、自分を愛しているからだと。
人の気持ちは移り変わるし、常に人間関係は変動していく。そんな他者に愛情を求めても、いつまでも安定しない。
良くも悪くも、自分を裏切らないのは自分だけ。
最終的に、自分を愛せるのは自分だけ。
そう思った時、私はやっと、孤独を恐れなくなった。
人は「鏡」
だから、「似た者同士」が集まるのが真理なら、自分を大事にしている私には、同じように自分を大事にしている人が関心を持ってくれるだろう、と。
そんな人たちと良い関係を築きたいと、心から思った。
幸い、いま私と仲良くしてくれている友人たちは、やっぱり、日々を前向きに生きている人が多い。
そして、これまでご縁が終わってしまった人たちというのは、総じて「自分を愛していない人」だったことが、今は分かる。
こうやって、自然と、人間関係は築かれていくものだ。
相手は私の「鏡」だと。良い自分でいられるなら、良い人が映し出されるだろう。
これを肝に銘じておけば、ふと立ち止まって周りを見回したとき、ダメな人がいたとすれば、それはつまり今の私がダメなんだと分かる。
いくつになっても、自分を最期まで愛すことができるのは、自分だけ。
孤独を恐れて他者に価値を委ねるんじゃない。自分の価値は自分で決める。
そしてそんな自分こそ、自然と他者にも認めてもらえると。
今はそう思う。
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