「承認欲求」に飢える前に。もっと「会話」しよう

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さて。

先日のこと。

普段ちょこちょこLINEで話をするママ友と、久しぶりに会うことになった。

ちょっとクセのある人で、情緒がないというか、あまり愛想が良い方ではなく、何人かと話していてもすぐ自分の話題にすり替えてしまうので、他のママ友からはちょっと敬遠されているような子だった。

子どもが同い年同士なので、私は他の人たちより距離は近かったのかもしれない。
いろいろと共通点があって、親近感を持ってお付き合いしていたが、最近は疎遠になりつつある仲だった。

情緒がない、と思うのは、例えば家に遊びに行かせてもらう時、気分転換になればと思って雑誌やちょっとつまめるお菓子を差し入れしても(訪問用のおもたせは別にある)、「はぁ」だけ言ってお礼も何も言わない。そしてもらった雑誌は触れることもなくその場に放置。

二人で飲もうと思ってドリンクを買っていっても、礼もないままさっさと冷蔵庫にしまわれてしまい、あ、それ今飲みたいんだけど・・・と言って私ひとりで飲む始末。

これらは一回経験してもう二度とするまいと決めてからはストレスが減ったけど、その他にも何だかなぁと思うことが多く、最近はこちらからの連絡は控えていた。

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「飢え」からくる「承認欲求」

その彼女から数ヶ月ぶりに「ランチに行こう」と言われた時は、久しぶりだしランチなら食べてすぐ帰ればいいかなと思って了解した。

で、待ち合わせのお店で。

先に着いて息子にお昼を食べさせていたんだけど、後から来た彼女は部屋に案内されて私を見てもにこりとすることもなく、無言で入ってきた。

私はいつものクセで「おはよ~」なんて笑顔で手を振ってたんだけど、その顔を見た瞬間、心がげっそりとしぼんでいくのが分かった。

・・・せめておはようくらい言えんかねぇ。

あぁもうさっさと食べて帰ろう、と思って、とりあえずは息子の相手をしながら近況などを話していたんだけど、彼女はとにかく日々どれだけのストレスの中で暮らしているかをマシンガントークでぶつけてくる。

彼女と話していてしんどいなと思うのは、愚痴の内容よりも「こんな相槌が欲しい」「こんな慰めが欲しい」ていうのが透けて見えるところで、それを感じれば感じるほど、私の心はどんどん萎えていった。

私のテンションが低いことに苛ついたのか、話題を自慢話にチェンジさせ、今度は「いいなぁ~」「羨ましい」という言葉が欲しいのがはっきりと分かる。

「・・・ふーん。そうかぁ」

とニコニコしたまま返しながら、どうしてこう、欲求不満なのかなぁと考えていた。

育児や家事で頑張っている私を認めて欲しい、という承認欲求は誰にでもあると思うけど、彼女の場合は、こう、「賞賛」に飢えていた。

大変さアピールも、恵まれている環境アピールも、結局は、「私を褒めて!すごいと言って!」という圧力を相手にかけることであって、「会話」ではなく「押し付けの言葉」で話してしまうから、相手は文字通り閉口してしまう。

普通は、相手との対話の中でお互いの状況を知って、それについてあれこれと話し合うんだろうけど、彼女の場合はそれがなく、とにかく「自分の話を聴け」になっている。

その証拠に、彼女は私の話題には一切触れない。私の話は適当な相槌をうって聞き流すか、「うちの子は」と自分の話題にすり替える。他人に共感するよりも先に、自分の満足をまず求めてしまう。

・・・情緒がないなぁ、と思いながら、私はすでに彼女の顔を見ることが苦痛になってきていた。

彼女の求めている言葉を、かけることが出来ないからだ。
思ってもいないことを口にして彼女を満足させることなど、出来ないからだ。

「対話」「会話」の必要性

「飢え」は、案外自分でも気づかないうちに心を蝕むものだと思う。

彼女は、「賞賛」を求める奥で、そもそも「会話」そのものに飢えている。

普段から誰かと話していれば、自然と感情を小出しに出来るし、気持ちを整理することが出来る。

相手のことを受け入れる余裕も生まれてくる。

それがないから、たまにしか会わない相手に一方的になってしまうのだと思う。

私も、普段ほとんどの時間を息子と二人で過ごしていて、特にクラウドソーシングを始めた今は、以前より人と会う時間がぐっと減った。

ヘタすれば夫と息子以外の人間と会話していない日もあって、そんな時が続くとやっぱり心が鬱屈してくるというか、閉塞感を自覚してくる。

幸い、趣味のために週に数回家を出ることが出来て、そこで家庭と切り離された時間を過ごすことで(仲間と話すことによって)、充電していく感じ。

やっぱり、誰かとの会話って自分のためにも必要なんだなと思う。
それがたとえ身近な家族であっても、「溜め込まない」ことが大切で、飢える前に自分で満たす方法を得ていたいと思う。

彼女は、良い旦那さんにも恵まれているし、生活も困ってはいない。

それらに感謝出来ない余裕のなさも、自身を省みることが出来ないからなのかもしれない。

「会話」というか、他者の存在が大切なんだろうな。他人を受け入れる隙間がないと、自分のことも見えなくなるもんね。

 

この話を仲良しの20代の女の子たちにしたら、「ひろさん、もっと人を見る目を養って」と言われてしまった。

八方美人ばかりじゃぁダメなのよねん・・・。

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