「恋人とうまくいかない」「片想いしているが相手にされない」など、恋愛でつまずいている人の話を聴くと、結論を急ぐ姿をたまに見る。
結論を急ぐというか、「自分の望む結末」に”すぐに”たどり着きたい焦りが見える。
恋愛でも友情でも、親愛の感情って簡単には育たない。
わずかな時間でも「続けて・重ねて」いくことで相手の人柄や人間性を知り、受け入れて自分も心を開いていく。会って数時間で完全に信頼するなど、相手によほどのカリスマ性(もしくは自分の依存性)が強くなければそうそうない。
いい関係でいるためにはお互いの信頼が必須で、それは一足飛びに叶うものじゃない、コミュニケーションをとって会話して、あたたかい気持ちが生まれてそれを自覚して、相手のなかにもそれを見て、小さなかたまりが少しずつ心のなかに積まれて「信じたい」「信じてほしい」気持ちが大きくなるものだと思う。
依存体質の人ほどこの「信頼を培う時間」を待てない。
恋愛感情を向ける人と”すぐに”交際までたどり着きたい気持ちはわかるし、付き合っている人には”すぐに”自分の不安を解消してほしいと願うのも理解できる。でも、その思いはあくまで自分側が持つもので、一方的に考えることで、相手がどうするかは絶対にコントロールできない。
相手に「私(俺)の理想通りに動いてほしい」のが本音だけど、それが叶うかどうかは自分では決められないのだ。
自分だってそうだろう、相手から”勝手に”望まれること、期待されることを理解してその通りに行動するなんて「無理」と思うはずで、押し付けを感じたら距離を置きたくなるのが自然だと思う。
「自分と同じように恋愛感情を持ってもらうには時間がかかる(自分を知って好きになってもらわないといけないから)」
「友達と思っているけどいつでも自分の話を聴いてくれるとは限らない(その時間を割いてもいいと思わせる関係にならないといけない)」
「自分の不安や焦りを解決する義務は相手にはない(それは自分の問題で、聴いてほしいなら相手を信頼すること・信頼されている関係じゃないと疲弊させる)」
「理想の実現」には必ず過程が必要で、親愛を育てる時間に誠実に向き合ってこそたどり着けるもので、相手の状態を受け入れて自分の気持ちを伝えながら進むことが健全なのだ。
依存体質の人は少しの不具合でも不安になり、「愛されない自分」「自分だけが親愛を向ける状態」に怯えるけど、
「好かれたければまず自分から好きな気持ちを伝えていかないと相手の心は動かないし、だから相手の気持ちを正しく知る努力が欠かせないし、それには時間がかかる」
という現実を見ていない。
「好かれる自分」ばかり頭にあるから応えてくれない相手を責めたくなる。そのときの相手の気持ちをいっさい考えず、「相手にされなかった自分」にだけ焦点をあててうまくいかないことを嘆く。そんな姿が相手にどんな思いを抱かせるかがわからず、想像できず、「応えてくれなかった罪」を一方的に作り上げて報わせるためにネガティブな関わり方を選んでしまう。
こういう状況は本当に多い。
突き詰めれば「付き合ってくれないことが不満」「私(俺)の思い通りの言葉や態度をくれないのが不満」でしかなく、一方でそれを叶えるために時間をかけることは避けたいのだ。それが本音。
何でかって、「親愛の気持ち以外で自分と関わる理由がない関係」は不安だから。
たとえば、サービス業の異性(お金を介してつながっている異性)なら「あっちからは切れない関係」だから自分は受け身でいられる。何もしなくても連絡してもらえるし、誘われるし、会うことも簡単。
でも、そうでない「自分と同じ立場の異性」の場合は、純粋にお互いの関心だけが関係が成立する理由で、それを理解しているから「連絡がないのは好かれていない証拠」「相手にされないのは関心を向けられていない証」の事実を突きつけられる。
これを避けたいから時間をかけられない。
相手の自分への関わり方を極端にうがった目で見てしまい、期待通りでないことが「=好かれていない」に”すぐに”変換され、
「好かれるためにどうするか」
の努力を放棄する。
中途半端で曖昧な関係、グレーゾーンの状態は不安でしかなく、「愛される自分」を一刻も早く手に入れたいからそうしてくれない相手を悪者にする。
正常な距離感、相手を尊重する関わり方って、「相手には相手の日常があり、自分にばかり構っていられるわけではない」「その人なりの人間関係を持っていて、自分以外にも親しい人がいる」「自分は良くても相手にとっては負担になるやり方がある」って”弁え”で、これ、自分も等しく相手に望むことじゃないのかね。
一方的にぐいぐいと踏み込んでくる相手に戸惑ったり、好意を見せられて応えることを期待されて抵抗したり、こちらから声をかけることを当たり前にされて疲れたり、自分が負担だなと思うことは相手も同じように負担に感じるのだ。これが対等。
尊重されたければまずこちらから尊重していくのが親愛で、”お互いに”リラックスして過ごせるときは居心地のいい距離感があるはずで、それを実感できれば関係に時間をかけることを楽しめるのだ。
駆け引きじゃないんだよ、むやみに相手を振り回して時間を奪うのは不毛な感情しか呼ばないからやめたほうが良くて、「関係に時間をかける」っていうのは
「お互いに気持ちよく過ごせる時間を増やしていく」
ことが同時に信頼を育てるんじゃないの、と。
一秒でも早く愛されたいのは当たり前、望む結果を手に入れたいのも当たり前、でもそこにたどり着くためには相手の心を開くことが必須、その努力をするなら自分から好意を伝えていく姿が近道だということ、時間をかけたぶん親愛と信頼は大きくなるのが現実。
「この人といると楽しい」「幸せ」「もっと一緒にいたい」、お互いがそう思える時間を作るんだよ。
相手からの好意を引っ張るやり方じゃなくて、「自分といて楽しいと思ってもらう」ことを意識するんだよ。
そう考えると、相手の状態を尊重した連絡ができるでしょ。
相手の負担になるやり方は避けたくなるでしょ。嫌われるから。
その姿を見て相手も心を開いてくれるんだよ。「この人を信じたい」と思うんだよ。
その時間は”中途半端で曖昧”じゃなくて、「望む結果にするための努力」なんだよ。
幸せな交際をしているカップルにはそういう背景がある。
片方の一目惚れではじまった恋愛でも、好かれるために対話し、過ごす時間を増やし、すれ違うときも逃げずに気持ちを伝えて、「自分はこうしたい」を常に見せ続けたから相手も信じられるんだよ。
「自分は大切にされているのだ」と。
どんな人間関係でも、そう思わせてくれる幸せを、奇跡を、大事にしたいと思うから誠実に応えるんだよね。
反対に言えば、それだけ頑張ったけど相手が受け入れてくれなかったときは、「自分は努力した」って事実が後悔を減らすんだよ。「愛されなかった自分」への惨めさより「好きな人のために力を尽くせた自分」が自信になるんだよ。
能動的に人と関わることは、そのまま自分への信頼になる。
だから、依存体質の人ほど好きな人との関係に時間をかけることは自分のための努力なのだと、正しく受け止めて欲しいなと思う。
先日、30代後半の女性とこの話をしていて、
「出た、アンタの好きな”自愛”の話だ」
って茶化されたけど、この女性は「愛されない自分ばかり感じてそこから抜け出すために不毛なやり方をし続けてかえって疲れた」経験を話してくれた後で、
「だから、いま好きな人には素直になるの。
隠すことがストレスになるってわかったから、もう好きだ好きだ言いながら食事に誘うの」
ってからから笑うのがいいなと思った。
依存体質から抜け出したいと思うとき、能動的になれる自分に気がつくんだよね。そのエネルギーは自分で持てるのだと。
ああそうだ自愛だよ、しつこいけど自分の幸せは自分で決められるんだ。
それが現実。
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