忘れられない夜

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忘れられない夜がある。

彼と友人と三人で食事に行った帰り。

気がつけば、彼と食事を共にするという個人的な時間を持つことは初めてだった。

親しくなって一年以上、LINEも週に三回は彼の方から来るし、会えば気楽に話せるのに、どうしても二人きりの時間を持つことができなかった。

人前では明るいけれど、女性関係のことになると途端に奥手で受け身になる彼だったから、私とも一定の距離をとっていることは分かっていた。

それでも、彼のプライベートな話を打ち明けられたり、私の話も聞いてくれたりして、いつの間にか私は「期待」してしまっていた。

何度かドライブに誘ったことがある。

二人の間が盛り上がっていた時で、今なら大丈夫かな、と結構な勇気を振り絞ってLINEしてみたんだけど。

そのすべてを断られた。

一度など返信すらもらえなかったことがある。

その度にショックを受け、あぁ私の勘違いだったのか、と淡い恋心を諦めてきた。

不思議なのは、そんなことがあっても、会えば普段と変わらず接してくる彼のことだった。

いや、正確には私の方から「何でもないフリ」をしてきたのだ。仕事の都合で定期的に顔を合わせる関係だったから、どうしても気まずくなるのは避けたくて、つらい気持ちをひた隠しにしながら彼の前では笑顔を作ってきた。

そんな私に安心したように、彼はいつも通り気軽な様子で話しかけてくる。

どうしてそんなことが出来るのか。

「この間はごめんね」のひとことでもあれば、まだ救われる。

それすらない。私の誘いを断ったことには触れない。「なかったこと」にされる。

もう、その態度に何度も絶望してきた。

本当に友達でしかないんだな、と。

進まない関係は感情の上下を繰り返しながらも何とか平穏を保って続き、私はゆるい片想いのような状態で満足するようになっていた。

本気にはなれない。

踏み込めば嫌われる。なぜかそう思っていた。

彼が望む距離でいるしかない。

でも、趣味も合うしLINEでも盛り上がるし、おそらく彼にとって一番の女友達であることは分かる。

それでいい。

それだけでいい。

だから、友人を食事に誘うついでに彼にも声をかけたら、意外にも「いいよ」という返事が返ってきた時は、相当驚いた。

下心がなかった訳ではない。

二人きりがダメなら、ほかの人がいればいいのかな、と。

そうすれば警戒されず過ごせるかな、と。

送ったLINEの返信は次の日の朝に来た。「携帯を車に忘れていて」という見え透いた嘘はもう何度もくらっていたけど、それでなおOKの返事であったことに、心底びっくりした。

何も知らない友人は、のんびりと「何処に行く~?」なんて言っていたのだけれど、実は彼と「○○を食べたいね」という話は出ていた。

それも彼の提案であって、私は初めて受けた彼からの申し出に、どう答えていいか分からないくらい、戸惑っていた。

どう振る舞うかシミュレーションもできず、浮かれて。

そんな展開の果てに。

「あそこに行こうか」と言ったのは私だけど、二人は反対しなかった。

建物から駐車場まで歩きながら、テンパった私は何がどう転んでしまったのか、彼に向かって

「ねぇ、車に乗せてよ」

と口にしてしまっていた。

彼は無言だった。

黙ったまま、わずかに頷いたように、見えた。

その日は徒歩だった友人も乗せて一台で行こうよ、ということになって(この流れには正直救われた)、私は初めて、彼の車に、彼のテリトリーに踏み込むことになった。

趣味のものが溢れている後部座席だったけど、ものの見事に片方に押しやられていて、私が座るスペースが確保されていた。

なるべく、何でもないような感じを作りながら、乗り込む。

慎重にドアを閉めようと手を伸ばした時。

外にいた彼の腕が、動いたような気がした。

違和感は一瞬で、自分の動きを止められずにそのままドアを閉めてしまったのだけれど、ひょっとしたら外から閉めようとしてくれたのかな、と。

これも勘違いかもしれない。

無意識のうちに、「彼に気にして欲しい」と願っている、私の浅ましさ。

彼の運転はとてもスムーズで、後部座席に座った私を気にしているのが分かるくらい慎重にハンドルを切り、ブレーキをかけていた。

いい人なんだけどなぁ。

そんなことを思う。

こうして、ちゃんと女性として扱ってくれるんだけど。

どうして、二人きりを避けるんだろうか。

本当は嫌われているのかも、と何度も何度も悩んだ。

距離をとったこともある。LINEを一切送らなくなったこともある。

それでも、会えばダメなのだ。

どうしても顔を合わせる機会がある。いっそ会わなければ、そのまま音信不通になれたのに。

お互い、痛みに目をそらしながら、何とか繋いできた絆。

彼の気持ちなど一切知るよしもなかったが、ただ最期はいつも拒否しないこと、フリではなく私を受け入れてくれることだけは、分かっていた。

お店では三人で楽しく話して、何事もなく食事は終わった。

彼はにこにこしながら食べていたし、私も友人がいたおかげで彼だけに集中することを避けながら過ごすことができた。

良い時間だったと思う。

会計を済ませて再び車に戻り、あとはもう、会社に戻るだけ。

あぁ、終わってしまう。

後ろの席でシートにもたれながら、私は名残惜しい気持ちが湧いてくるのを感じていた。

それでも、今日は記念すべき日かもしれない。

仕事を離れて初めてプライベートな時間を持てた日。拒否されなかった日。

満足しなくちゃいけない。

彼は友人と話しながら運転している。

ふと気がつけば、車は会社から遠ざかっていた。

窓から見る景色で分かってはいたけど、きっとUターンするところを探しているんだろうなくらいにしか感じていなかった。

彼は気づいていないのか、迷うことなく運転を続けている。

どうすれば良いのか分からなかった。

どこまで行く気なんだろう。

何を考えているんだろうか。

でも、いっそこのまま、遠くまで行ってしまっても構わない。

一緒にいられるなら。

「あれ?」

信号待ちで車が停まった時、助手席の友人が声をあげた。

「お前、どこまで行くの。会社に帰るんじゃないの?」

あぁ。

終わってしまった。

 

ところが。

 

「あ、忘れてた」

 

という彼の言葉は、おそらくしばらくは消えないだろう。

「このまま家まで帰ったら笑うね」

その表情からは、何も読み取れなかった。

思わず見つめてしまった彼の横顔は、ただ、笑っていただけで。

・・・忘れていた?

「お前バカだなぁ、車、どうすんの?」

と友人が私を振り返る。

「ねぇ、本当に。私もうっかりしてた、あはは」

私は上ずった声で返事をしていた。

彼はすぐに車をUターンさせた。

そのまま真っ直ぐ会社に帰り、私が普段駐車しているところまで行ってくれて、私はそこで降りた。

「ありがとう」

精一杯の笑顔。

彼はシートベルト越しに、私を振り返る。

その顔は、やっぱり普段通り、優しい瞳で。

「おやすみなさい」

私が自分の車にたどり着くまで、彼の車は動かなかった。

助手席の友人が窓を開けて、「わざわざ開けたんだぞ!」とか言いながら私に手を振ってくれた。

その向こうに、同じように手を振る彼を見た。

おやすみ、と言って、私はドアを開ける。

彼の車はゆっくり走り出す。

一人になって、やっと。

胸がずっと、どきどきと深く重く脈打っていることを、改めて実感した。

 

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あぁ、また、勘違いなのだろうか。

あれほど他人に気を遣う人が、うっかりするはずがないだろう。

私を乗せていることを、忘れるなどありえない。

どうして。

同じ気持ちだと、思って良いのだろうか。

まだ一緒にいたかったと。

明日になれば、また、顔を合わせることになる。

彼はきっと、今夜の自分を「なかったこと」にするだろう。

ひとことも触れないだろう。

私は。

笑いかけることが、出来るだろうか。

 

 

 

*とっと昔の、主人とのお話。

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