まぁ、「草食系男子」とか「絶食系男子」とか訳のわからん言葉が流行る時代だからねぇ・・・(まだ言うてる人っておるがやおか)。
私の周りにもおる、草食系というか恋愛に対して「受け身」な男。
自分からアプローチすることができない、感情を表に出すことが苦手、でも気になる人とはちょっとでいいから繋がっておりたい。
平日の夕方に「今から会社を出ます。家に帰って○○に行きます」なんて「・・・・誰への報告だ?」ってメールを送ってくる男。
聞いてみれば、そんな短文なメールさえ、「死ぬほどの勇気を振り絞って送っている」そうだ。
内容が当たり障りのないものになるのは、「話題が思いつかないし、返事がなくてもヘコまなくて済むから」って、いやさっきのメールになんて返せばいいんだい一体。
こういう時、彼らは「もらった側の気持ち」をまったく想像出来ないんだよね。
決して悪意があるわけじゃない、困らせたくもない、ただ空気が読めないところもあるし突拍子もないし、送るだけで精一杯。
・・・伝えるだけで精一杯。
女性の場合(私の場合か)、例えばメールやLINEを送る時は、まず相手の状況を考える。
この時間ならそろそろ仕事が終わってるかなとか、お昼だからスマホ見るかなとか、夜のこの時間ならまだ迷惑にならないかな、とか。
それはひとえに、「読んで欲しい」から。いや「返事が欲しいから」。いやもっと「私のことを思い出して欲しいから」。
そういう自己満足のために、「お仕事お疲れさま!今日は暑かったねぇ、無事に終わっちょったらえいけど。今日は○○行く日やなかったっけ?どうやった?」なんて、恋愛マニュアルにある「疑問形で終わる」言葉を送りつけるのだ。
彼らは、こういう気遣いが出来ない。出来ないというか、そもそも思いつかない。TPOに合わせて文章を選ぶなど、仕事の報告書を仕上げるより難しい。
それでも。
送りたいのだ。
伝えたいのだ。
読むべき部分は「帰ったら○○に行きます」なんて部分じゃない。
たぶん口を真一文字に引き結んで、かたい表情で、一生懸命絵文字にどれを選ぶか悩みながら、相手のことを考えている、その気持ち。
不器用で、真っ直ぐに好きだとは言えない、でも自分のことを思い出して欲しい。
なんて健気なんだろうとは思うけんどね。
「好意を悟られる」ことから逃げる気持ち

ただ、一点だけ「悪意」があるとすれば。
こちらからの誘いには乗らないのだ。
例えば「悩んでいることがあるから相談に乗って欲しい」とメールしても、「分かった」と約束して二人で会うことなど、まずかなわない。
仕事があるとか用事があってとか、返事は必ず返してくれる。だが、それでおしまい。
おしまい。
私なら、相手が好きな人であれ友達であれ、その日がダメなら代替案を出す。今日はダメやけどこの日はどう?と。そしてまず、「大丈夫?」と送る。
彼らはそれがない。
こちらを気遣う言葉もなければ、代わりの日を提案することもない。なんともショックというか、肩透かしをくらう。
これを何度もくらい、心底がっかりして、「なんだ、気があると思ったのは気の所為だったのか。私のうぬぼれだったのか」とこちらからアクションを起こすことをやめる。
期待してしまうじゃないか。
会えばいつも笑顔で寄ってきてくれるし、話も弾むし、LINEも相手から来ることが多いし、そこでも盛り上がるし。
奥手なことは見ていれば分かる、だから絶対に具体的な日取りなんか決めて誘われることがないだろうことも理解できる。だからこちらから声をかければ大丈夫なのかな、と。
それらすべてを裏切られるのだ。
悲しいし悔しいし恥ずかしいし、もうえいわ、と投げやりになって付き合いそのものが減るわけだけど。
彼らは踏み込めない。
おそらく、たぶん、内心では心配してくれているだろうし、(本当に用事があって付き合えないなら)申し訳ないと思っているだろう。
でも、そういう自分の気持ちを伝えることは、出来ないのだ。決して。
「心配している自分」を悟られてはならない。
それはつまり、相手に好意があることが、バレてしまうから。
そんな大げさな、と思うかもしれないが、彼らは本気でそう思っている。
恋愛感情など関係ない、友達でも何か悩みを抱えていると分かれば気にかけるものだけど、そういう境目が分からない。
自分が相手のことを意識していると分かる言葉は、絶対に言わない。いや、言えない。
そしてどんどんチャンスを逃していく。
・・・・難儀やなぁ、と思う。
自信がないんだろう。
「こんな自分に気にされてるなんて知られたら嫌われる」「離れていかれる」という不安でいっぱいなのだ。
見ていれば分かる。
「踏み込ませないのに受け入れる」のは、相手に対して自分も好意を持っているから。
でも、いざストレートに気持ちを向けられると、それに応えることが恐ろしい。だから逃げる。
与えてもらえる好意は嬉しいし、返したい。でも、いざ向き合っても離れていかれるかも、と思うと怖くてたまらないのだ。
心を開いてあとで傷つくくらいなら、最初から何も与えたくない。それなら何もしなければいいのに、つながりは欲しいからメールする。笑顔で話しかけるし、相手からの好意を見て安心する。
こちらから言わせれば、中途半端に距離を詰められていざ両手を広げれば背中を向けられることのショックを考えて欲しい、とつくづく思う。
「摩擦」から生まれる人間関係は尊い

そうやって数年経ってから、「あの時は~」なんて打ち明けられても、こちらは「へぇ・・・・」としか言えなかった。
知らんがな。お前の葛藤など。
そうやって臆病になって好きな気持ちを隠すから、何も得ることができないし、与えることもできない。
もちろん波風はたたないから平和だろう。それを望んだんだろう。
彼らは「恋愛は疲れる」と思っている。
一方的に自然消滅された過去などトラウマがある時はなおさら逃げる。
まぁ、やり逃げするような男よりはマシかもしれないけど、それでも「淋しいなぁ」と思ってしまう。
恋愛感情というか、人と人の大切なつながりすら、そうやって消していくんだよ?
上っ面のその場限りの人間関係ばかり構築していって、幸せなんだろうか。
摩擦は怖い。恋愛でも友情でも。
だから、そこから生まれる絆は尊いのにね。
心底誰かを愛することは、たしかに怖い。裏切られたら、嫌われたら、離れていかれたら。
それでも、決して傷つかない安全地帯から小石を投げて自分の存在をアピールするようなセコいマネをしていても、本当の幸せは決して手にできない。
彼は元気にしているだろうか。
願わくば、そんな壁を打ち壊してくれるような彼女ができているといいなぁと思う。
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