製作年 2008年
製作国 スウェーデン
原題 LET THE RIGHT ONE IN
時間 115分
監督 トーマス・アルフレッドソン
PG-12
「初恋」が「永遠」に変わる瞬間。
せつないというより、やるせなさに圧倒される。
何故、オスカーだったのか。12歳。あまりにも子ども。あまりにも無力。
「共に生きる」という選択をいとも簡単に出来る身軽さ、その無責任さが哀しい。
オスカーもこれまでの「元カレ」たちと同じ運命をたどるのだろうか。
あんな幕引きしかないのだろうか。
どんなに愛しても、二人の間に横たわる溝は決して乗り越えられない。
決して同じ次元には立てない。でも目の前に存在する愛しい人。
いっそ、気が狂うほど愛せるだろう。エリといることでしか紡げない世界で生きられるだろう。想いながら死ねるなら本望だ。
エリ役のリーナ・レアンデションの、ぞっとするほどアンバランスな妖艶さと、オスカー役のカーレ・ヘーデブラントが見せる痛々しいほどのあどけなさ。
「入っていいと言ってよ」と可愛らしく懇願する姿が、言ってもらえないと分かるや数秒後には全身から血を流すおぞましさ。これがエリ。
「付き合ってよ」と簡単に口にして、エリに勇気をもらって「復讐」を果たし、「血の契りをしよう」と手の平をナイフで切る。血を混ぜ合わせることで一つになれると信じる純粋さ。これがオスカー。
「私を受け入れて」というエリの気持ちが痛いほど分かるから、つらい。
一人では死んでしまう。「誰か」が必要。
そんな、エリの狡猾さや孤独とは絶対に相容れないオスカーのひたむきな「ぼくのエリ」という恋心が、ストーリーが進むにつれて絶望感を増していくのが哀しくて恐ろしい。

二人の淡い恋愛と並行して、どうしても立ちのぼる殺人の暗い影。だからいつまでも同じ街には居られない運命。
色々とレビューを読んでいて、一箇所、あのシーンで修正が入っているもう一つの意味を知ることが出来た。
でもなぁ、それを知ったってあまり関係ないというか、ややこしくなるだけだからなぁ。「私は女の子じゃない」という言葉で十分じゃないかなぁ、12歳だし。
わざわざ別の事実を持たせなくても、エリの、生きているだけで悲劇を重ねるという運命は変わらないわけだし。
ひたすら生を得ることだけを考えているエリと、学校ではいじめに遭い、母親にもそれをひた隠しにしながら、何とか孤独に耐えているオスカーの哀れさがリンクする。
エリの正体が分かり、困惑し、逡巡し、それでもドアを開けてしまうオスカー。
たった12年しか生きていない男の子に、エリの何が理解出来るのだろう。ただ「好き」なんだと、それだけで受け入れるには十分。エリと過ごせば追随するであろう無惨で過酷な生活も、この時のオスカーに想像出来るはずもない。
だからこそ、エリは永遠に少女の姿として生き続ける。この時にしか持ちえない感性をフルに活かして「捕食」する。
雪と氷に囲まれ、始終白い街の中で、エリが身にまとう毒々しい赤い血と、オスカーの健康的に輝く頬が何とも美しい。
殺害シーンの見せ方も最高で、エリの子どもらしい姿を汚すことなくその残虐性を味わえる。ラストのプールのシーンなんかいっそ清々しいくらい。
「初恋」が「永遠」に変わる瞬間。
それは希望の始まりなのか。絶望を迎える準備なのか。
もー、こんなんめっさ好きやきに。
ぼくのエリ 200歳の少女【Blu-ray】 [ カーレ・ヘーデブラント ]
コメントを残す