私は、我慢が得意ではない。
欲しいと思って、手が届くものならとりあえず取りに行く。
別にフットワークが軽いわけじゃなくて、流行りだからという理由で心が動いたことはない。本でも文房具でもアクセサリーでも、本当に関心が向いたものにだけ行動が早い。
その代わり、興味が湧かないものにはほとんど投資しない。
先日は、数年ぶりにiPhone6 plusからiPhoneXに機種変更したけど、久しぶりの衝動だった。手にしない自分が思いつかなくなったら後は早い。
やってみるのも同じ。
人に会いに行くのも同じ。
要は、そのときの「こうしたい!」という自分の気持ちに逆らえないだけなんだと思う。
そういう意味で、「我慢」は私にとってとても不健康なことになる。
恋愛でも、ケンカ別れした相手の家に自分から出向くなんてしょっちゅうで、それで関係の停滞を打開してきた。
伝えたいことがあるから。
わかって欲しいことがあるから。
「その後」のことを考えずにまず体が動く、というのは、自分は後悔しないメリットがある反面、相手の承諾もなしに時間を奪って迷惑をかけるデメリットもあると思う。
それでも、我慢ができない。結局自分のやりたいようにやらないと気がすまない。
それでどんな結果になろうとも、それを受け入れてきた。行動の顛末はその都度しっかり咀嚼してきたつもり。
最近考えたことがある。
私は、我慢が苦手だけど待たれることも同じくらい苦手だ。主に人。
「こうして欲しい」と一方的に思われることがしんどい。
こちらにその気がないのにアクションを待たれている現状に気がつくと途端に気が重くなる。
知人のひとりに、都合の良いときだけ私を利用したがる人がいる。
普段はそんなに親しく接してもこないのに、特定の用事があるときだけ私に連絡してくる。「○○があるよ」と教えてくれる言い方だけど、その裏では「買うなら私の分もお願い」という真意が透けて見えている。
はっきり言ってくれればいいんだけど、そうではなく「一緒に買おうか?」と私が返信してくるのを待っているのがわかる。
気が重くなる。
最初から「一緒に買ってくれる?」と言えばいいのに、意味がわからない。
先日、ほかの用も重なってその人に連絡する機会があり、ちょうどそれの売出しがあったから声をかけてみた。「一緒に買う?」と。
すると、あれもこれもと1万円を超える買い物を頼まれてしまった。「お手数かけます」とあるが、正直後悔した。
で、無事に商品が届いたので持っていく日を連絡したんだけど、それに対して返信はなかった。
確かにその日に会うのは以前から決定していたことではあるけど、どうして「ありがとう」と返す気持ちになれないのか。
私ならまず手間を取ってくれたことに感謝するんだけど、相手にとってはそんな言葉すらかける相手じゃないのか、と思うと、「なめられてるんだな」と感じて気分が暗くなる。
つまり、それだけ私の存在は軽いということだ。「言葉は不要」で済まされるんだから。
二度とこの人には声をかけないと心に誓った次第だった。
ちょっと話がズレたけど、こんな風に扱われるのはつらい、といつも思う。アクションを待たれるのは本当に面倒くさい。
私にこう動いて欲しい、と一方的に期待されるのはプレッシャーが生まれる。
予定調和ではないのだ。人の気持ちは。
そういう「甘え」は恋人同士ならありえるものかもしれないけど、普通の友人同士ならただの「依存」になる。
例えばコミュニケーションが上手くいかなくて相手と疎遠になったとき。
向こうから突然謝罪の連絡がくる。あのときはごめんなさい、と。それ自体はいい。
が、
私は謝ったんだから、次のアクションはそちらが起こすべき。
そんな意図が見えると、前向きに関わりたいと思う気持ちが萎える。
謝るのはそっちの勝手だ。
だって、私は謝罪して欲しいなんて一言も伝えていないからだ。そして望んでもいない。一方的に「謝るべき」と了解してやったことなら、相手に次の動きを期待してはいけない。
して欲しいことは素直に言え。そう思う。
一緒に買って欲しいものがあるなら先にお願いするのが筋だと思うし、いまどう思っているか連絡が欲しいならそう書くべきだろう。
何が困るかって、こういうタイプの人たちはえてして傷つきやすいのだ。
「自分はこうしたのに相手は応えてくれなかった」と期待を裏切られたことを恨む。勝手に待つ態勢に入り、勝手に傷つく。
最終的に、悪いのはこちらになるのだ。気持ちを理解してくれなかったと。
本心を、本音を伝えることを避ける自分は棚に上げる。こういう人は男女問わずけっこう多いと感じている。
「自分を満足させてくれなかった人」という烙印を一方的に押されるのは構わないが、頼むからそう思うなら関わるのは控えて欲しいと思う。
私の場合は八方美人がひどいので、それがなめられる原因になるのはわかってるんだけど、一度相手と距離を起きたくなるとそれが態度に出るので困っていた。
でも、最近は仕方ないかなと腹をくくるようになった。
待たれるくらいなら。「こうしてよ」と押し付けられるくらいなら。
「応えられません」と示すのも、自分のためには必要なときもある。
その代わり、相手がきちんと気持ちを伝えてくれたときは、全力で向き合うようにしている。自分にその気がある限り。
良くも悪くも、私はストレートな感情でしか人と関われない。
駆け引きなど器用なこともできないし、自分の満足するようにしか動けない。
それなら、せめて前向きに関心を持ってくれる人には敬意を持って応えたいと思う。
人の気持ちは予定調和ではないのだ。
それは私の関わり方にも言えること。
人にないがしろにされるとき、私も相手をきっとないがしろにしている。
もちろん、どんなにこちらが誠意を尽くしても通じないときもある。そんな人もいる。それはもう仕方ないとしか言えない。
そして一方的に善意を利用されるときだってある。軽んじてくる人というのは必ずいる。そんなものは「事故」と割り切るしかない。
そうではなくて、私が気持ちを向けていた相手から適当に扱われるとき、そこには何かしらつまずきがあるのが普通だ。
甘えていなかったか。負担をかけていなかったか。相手のストレスになるような関わり方をしていなかったか。
一度立ち止まって振る舞いを省みることは、私にとってとても貴重な機会になる。
「被害者」も「加害者」も、人間関係にはない。
人の気持ちは予定調和ではない。
もう一度、肝に銘じたい。
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