・自分にとってしっくりくる
・誰かが喜ぶ
・ずるくない
これらを満たした決断と行動を続けていると、必要なイベントが色々発生する。協力者が現れる。歯車がかちっと噛み合う感じ。逆にひとつでも満たせない項目がある場合、自然発生的なイベントは起きない。無理してる感が拭えない。— fta7e (@fta7e) December 21, 2016
今朝、こんなツイートを目にした。
「自分にとってしっくりくる」という感覚は、無理をしていないこと。
違和感を覚えるような場所では、何をやっても集中できないし楽しくないだろう。
だから、「誰かが喜ぶ」ことを考えつくためにも、「ずるくない」ことをするためにも、「居心地の良い場所」は不可欠なんだろうなと思う。
「居心地の良い場所」って、私にとって「自分を尊重してもらえている」実感があるところ。
尊重っていうのは尊敬じゃなくて、「居てもいいよ」と存在を認めてもらえること。
私が誰かの存在を「自然と」尊重しているように、自分だってそう扱われたいと無意識に願っている。
歓迎されていない雰囲気っていうのは、黙っていても分かるものだ。
悪意を露骨に示されなくても、「何で私ここにいるんだろ?」という息苦しさを押し付けられる。
たまたま流れでそうなった、そうするしかなかった、だから、という時だってあるだろう。
意図せず私が登場してしまうことだってあるだろう。
そういう時、自分はいても無意味だなと思ったら、潔くその場から離れるようにしている。
ないがしろにされることは、誰だってつらいものだ。
相手はそこまで考えていないのかもしれないけど、とにかく離れることが正解だと思っている。
無意識に疎まれることほど、人間関係でしんどいものはないと思う。
それは無関心と同じくらい悲しい。
「居心地の良い場所」とは、決して自分にとって耳障りの良い言葉が溢れているようなところではない。
ただお互いにそこにいることを当たり前にできるような、そんな空間。
そういう人たちに囲まれていると、自然と話も盛り上がるものだ。
話題は広がるし、新しい発見もある。そうやって心を伝え合える関係がいいなと私は思う。
「環境を自分で選ぶ」姿勢って、成長していくために必要なんだろうなと思う。
しんどいところに無理して身を置いていても何も得られない。環境そのものに悪意があろうがなかろうが、ここじゃないと思ったら立ち去る勇気も大事。
そして、何より忘れたくないのは。
私自身が、周りの人を尊重できているか。
先に自分が相手を「ないがしろ」にしてはいないか。
態度や振る舞いに問題はないか。
そうやって自分を振り返って戒めること。
人間関係で怠惰やいい加減な扱いは相手に伝わるから。
大切にしたい相手こそ、気を抜かずに付き合っていきたいなと、今は思う。
コメントを残す