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先日、別れ話はLINEじゃなくてちゃんと顔を見て話しておいで、というアドバイスを送った若い子から、「無事に終わった」と連絡をもらったので会いに行った。

いや、別に会いたいと言われたわけではないんだけど、やっぱり放っておけないじゃない。

私の車の助手席に乗り込んできた彼女は、いつも通りのメイクだったけど生気のない顔をしていた。

あぁ、やっぱりねぇ。

無言のまま深く沈み込む様子は、どこか痛々しい。

別れ話はしんどい。そらもう。

一瞬でも本当に好きだった人にいざ終わりを告げるんだよ、痛みがないわけがない。

たとえもう過去になっていたとしても、実際に幕を下ろすとき、その現実の大きさに手が震えないはずがないのだ。

だからこそ、会って話すのが筋だと、私は思う。

彼女は、ぽつぽつとどんな様子だったか話してくれた。

想像したより彼は別れに抵抗を示したそうだ。

が、「別れたくない」と言うばかりで、「どうして別れたくないのか」は言わなかった。

そうだそれが。

彼女を遠ざかる原因だったのに。

「好きだ」と言えないこの男心、ほんまに難儀やなぁと思う。

そんな彼を目の前にして、彼女はどんどんつらくなっていった。

最後まで、愛情を言葉にしてはもらえなかった。

これが彼女の実感だ。

わかっていた。絶対口にしないだろうなと私もこれまでを聞いて思っていた。だけど、最後くらい、別れ話を切り出されたときくらい、本心を伝えたいとは思わなかっただろうか。

「態度で示している」とか。

「強制されて言うことじゃない」とか。

的はずれな言葉ではぐらかされるこちらの気持ちを、この男性もきっと理解できないだろう。

最後、彼女は「次は好きって言える人だといいね」と伝えて帰ってきたそうだ。

彼はどんな気持ちで聞いていただろうか。

彼女が嗚咽混じりでつぶやいた。

「別れて良かったよ、私」

 

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「縁を切る」のは自分を取り戻すため

かつて、別れ話を切り出した相手から

「縁を切るって、他人になるってことだけど? いいんだね?」

と言われたことがある。

そんなことはわかっている。

そのときは「そんな大袈裟な」とごまかしたが、何のつながりも持たない他人になるなんてことは、言い出した私自身が一番よくわかっていた。

だから別れを望んだのだ。

「別れてからも友達で」とか、適当な位置に置ける相手じゃなかった。

好きだったから。本当に。

関わるなら、きっと全力で思いを向けるだろう。ひたすらに愛するだろう。それが私だ。

それがわかるから、離れるなら他人になるしかない。

一切の関心を捨てること。諦めるならそれしかない。

相手が別れたくないと思っていることはわかっていた。

でも、この人も上の彼と同じで、最後まで私に「好きだ」と正面から伝えることはなかった。

何かのついでのように「私もあなたのことが好きですが?」などと言われることは、最後のほうはもう苦痛に近かった。

別の話に紛れ込ませないと言えないような気持ちなど、どうやって受け止めろと言うのだ。

その弱さが限界だった。

だから、私が別れを選ぶなら、それは「縁を切る」一択しかない。

選択した時点で、執着が消えた。

自分でも、中途半端な覚悟でないことはよく理解できた。

思いを手放せるのは、自分は十分に頑張ったと言えるからだ。

「もういいよね」と自分の了解を得られたとき、執着も未練も昇華していく。

だから相手に伝えることができる。

その人とはそれ以降何のつながりも復活することなく今に至っているが、長い時間が経っても、後悔はしていない。

 

言葉が止んだ。

その人に向かって文字通り24時間語りかけていた気持ちが止まった。

嫌味であったり感謝であったり励ましであったり、いろんなシーンが頭を巡っていたが、それらは思いの焼け残りみたいなものだった。

「二度と伝えることはないんだろうな」と理解していながら吐き続けることを、私は自分に許していた。

言葉の多い私は、言いたいことは言わないと気が済まない。

相手はもういない。笑顔を向ける先にその人はいない。残像すらない。

それで良かった。

空っぽの闇に思いの消し炭を吐き出し続けることこそ、私が自分を取り戻すために必要なことだった。相手は必要ないのだ。

そして、言葉が消えたとき、自分が戻ってきたことを知った。

彼がいなくても、私は私であり続けることができる。

何でも手にすることができる。新しい世界をこれからも知っていける。

私を愛していける。

縁を切るのは、自分を取り戻すため。

それは彼を拒否することではなく、彼を愛していた自分をもう一度認めるためでもある。

憎んだり、恨んだり、そんな自分は許さない。ネガティブな感情から幸せな未来が生まれるはずがない。

無関心。

関わらないことは、自分に対する責任になる。

最後まで相手を尊重して終わることができた。その自負を、みずから壊すわけにはいかないのだ。

その強い芯が、それからの私を支えてくれた。

 

新しい絆は「他人」から生まれる

泣いていた彼女から「でも、会って良かったかも」という言葉を聞けたとき、心底ホッとした。

「そうかえ?」

「だって、あぁやっぱりこんな男だったって確認できたき」

うん。

それはもう、相手の問題だからね。

彼女が別れ話をLINEで済ませようと思っていたのは、この終わりを予感していたからだ。

最後まで、彼から愛のある言葉をかけてもらうことはないだろう。

そして自分だけが苦しんで悲しんで終わっていくのだ。そんな予感。

わかっていたから、少しでも傷つかない方法で終わらせたかった。

でも、自分の最後の姿を相手に見せておくほうが良いと、私はやっぱり思う。

覚悟を決めた自分を。愛に決着をつける勇気を持った自分を。

ふたりの関係の結末を、ちゃんと相手の男性にも見せておくこと。

それが、相手を尊重することだと私は思っている。

相手がどうであれ、自分だけは筋を通せる人間でありたい。誠意を持って対峙できる人間は強い。

彼も傷ついたし悲しかっただろう。

彼女が思っているより苦しみは深いはずだ。好きだと言えなかった分、悔いは彼の中で長い時間尾を引くことになる。

でも、それもまた彼自身が選択したことだ。

求めることができない人間は、何も手にすることはない。

 

「本当に縁があればまたつながる」とよく言うが、それはお互いが完全に他人にならないと無理な話だ。

上手くいかなかったから切れた縁なのに、そんな自分をリセットしないでどうして良い関係をやり直せるのか。

手放すことでもう一度自分を取り戻す。

改めて向き合うとき、以前と同じでは良い縁にならないだろう。

ふたたび絆が生まれるなら、そのときは「他人」から始まる。

一から築き上げる意思があって初めて、「本当の縁」になるのだ。

 

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1 個のコメント

  • すぐに別れるという男や、この一連の別れ話に関する記事と全くといえるほど同じ経験をして、同じ考えで行動しました。
    やはり迷いも悲しみも痛みもあったけど、自分を誇りに思う一方で、もっとなにかできなかったかな、縁を切るまででもないのかなとまだ迷っていました。
    でも、同じ考えのかたが、こんなに力強く筋道たてて意見を述べてくれていることで、本当に本当に救われました。
    彼の弱さを救えたら良かったけど、私にも私の心の限界があったことを誰よりわかっているから、自分を取り戻すためにまたここから、ひとつずつしっかり生きていきたいと思います。
    このサイトに出会えて本当に嬉しいです。これからも記事を楽しみにしています。

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