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先日書いた、友人関係を終わらせた男性からショートメールが届いた、という話。

このままスルーを決め込んでいた私は、それが正しいと信じて疑わなかった。

返事をしないことが、返事になる。

相手にすれば新しい感慨を彼に残す。それが嫌だった。

 

数日前のこと。

何年も仲良くしてくれている、10も年上の男友達がいるんだけど、用事があって会うことになった。

私が忙しいのでゆっくりカフェで過ごす時間がなく、申し訳ないと思いながら車の中での会話になったけど。

ローソンのあったかいカフェラテを渡してくれた彼に、ふと思いついてこのことを話してみた。

「わざわざ謝るかね、普通」

顛末を話し終わってそう言うと、黙って聞いていた彼は、ちょっとそのショートメール見せて、と手を出す。

いいけど、と画面を開いてスマホを渡すと、彼は文章に目を走らせてから、

「これ、このままでかまんの?」

と私を見た。

「え、返事らぁせんよ、かける言葉がないし」

たぶん真顔で答えたと思うんだけど、それに対して彼が

「あのよ」

と一呼吸置いてから口にしたのは、

「本当に今後関わらんのやったら、引導を渡してやりや」

という言葉だった。

「は!?」

……引導て。

文章で目にすることはあっても、口語で耳にしたのは久しぶりだった。

なかなかのインパクトがあった。

「……何で?」

自分でも顔をしかめているのが自覚できる。

だから、もういいんだってば。これで仕舞いにしたいんだってば。

もう、過去にしたんだから。

「この人、これからも引きずるで、これ」

彼はそんな私にスマホを返しながら言う。

そんなことはわかっている。

引きずるだろうよ、別れに納得していないのはわかっていたし、こんな連絡が来ることも心のどこかで承知していた。

そういう人だと、知っているから。

「うん。でもそれは私の問題じゃないし」

嫌ぁな気持ちがした。

連絡があるだろうことは何となく予感があった。

でも、まさかショートメールなんて手段を使うとは思わなかった。

メールも電話もあるのに、なぜそんなとっと昔に使わなくなった方法で送ってよこすんだ。

その臆病さが、私には卑怯に思えた。

「拒否られてるのが怖いからって、ショートメールなんか使う人やで。自分のことしか考えてないやんか」

一方的に。

「だけど」

彼はそんな私を見ながら、

「未練を切ってあげるのも思いやりやで」

と言った。

思いやりねぇ。

違う。

「嫌やわ。『もう関わるな』って言うたらまた私が加害者にされる。俺は被害者だーって余計に騒ぐだけやで、きっと」

「あ、ほら出た」

彼が私の言葉を遮った。

何のことだと思って彼を見ると、

「『加害者』ね。昔はそんな言葉使わんかったのに、その人のことになるとすぐ言うようになった。何も変わってないやんか。本当に過去になったがかえ?」

少しきつい口調だった。そして思い出す。この人は「加害者」という言い方を人間関係に持ち込むのが嫌いだったと。

 

「……」

あぁそうか私はまだ。

「……」

私の心はまだ。

「引導を渡してあげる方がいいやろ」

まだ。

「お前のためにも」

彼のことを忘れていない。

 

私が抱えているのは怒りだった。

正々堂々と謝ることもできない、安全地帯から小石を投げてこちらの様子を伺うような、あくまで自分は待つ側でありたいというその臆病さが。

甘えが。

許せなかった。

 

「……そうかもね」

やっと出た言葉は、自分でも気がつくくらい低い声だった。

「未練たらたらやね、この人」

「うん。そうやと思う」

「けんど返せんがやお」

「無理やね」

「ほんなら切りや」

もう一度。

「引導を渡す」ことになるのか。

 

例えば、彼がまともな人で、本当に謝罪したいからと電話やメールで連絡をしてきたのなら、私は真っ直ぐ受け止めていた。

「わざわざありがとう」

と言えただろう。

これまで私は、謝りたいと思うほど大事な人であるなら、向かい合うときは必ず正面切って対峙してきた。

それが相手に対する誠意だと思うからだ。

でも彼は、この期に及んでまだ自分を守ることが最優先になっている。

これほど私への関心を捨てきれていないのに、そんな自分から目をそらしている。

それが許せなかった。

 

まともに関わる気がないなら、連絡なんてしてくるな。

ショートメールに気がついて以来、ずっと胸の中で黒く吐き出される言葉は、これだけだ。

でも伝えようと思わなかったのは、それはまるで彼の「挑発」に乗るようであって、それこそ私のプライドが許さなかったから。

返事を送るべきなのか。

また、引導を渡すべきなのか。

あの日、私は全力で彼と向かい合い、疎遠になることをお願いした。それが私の「引導」だったのに。

 

「また友達になりたい」とか「やり直したい」とか。

そんな、前向きな言葉があったなら。

ショートメールでも構わなかった。

嫌な感情は湧かなかった。

「次」を考えることができた。

でも私の前に現れた彼の姿は、ただ私の気を引くための謝罪だけ。「追いかけて」と伝えてきただけ。

何も変わっていない。

そうかこれが。

私の中に新しく生まれた彼だったのか。

 

「『一日も早く新しい人生を歩んでください』って書いたら嫌味?」

ぽつりとつぶやくと、助手席の彼は

「いや、それはきついね」

と笑った。

 

結局、私はショートメールを送った。

私から寄ってくるのを待っていても、それはないこと。

誰も憎んでいないこと、あなたに関心がないこと。

意味の分からないショートメールは今後送るのは控えて欲しいこと。

一日も早く新しい人生を歩んで欲しいこと。

「お元気で」と締めくくった190字ほどの文章は、無事に送信完了になった。

別に、読んでも読まれなくても、どうでもいい。

それは彼の問題だ。

これを送れば、今度こそ関係は終わりになるだろう。

ここまで拒否されれば、彼は私を諦めるしかなくなる。

それは。

本当に引導を渡したかったのは私自身。

彼に送った言葉は私に向けられたもの。

私の中に生まれた怒りは、そのまま彼への関心になる。それを殺したかった。

もう一度、私が私に差し向けた「引導」だった。

 

勇気が持てなくて、本音から目をそらしたまま連絡をしてくる男は別に珍しくない。

よくある話。

ただ、勘違いしてはいけないのは、その姿勢でいる限り願いはかなわないということだ。

反応してくれ、返事してくれ、俺を思い出してくれ、また俺を必要としてくれ。

それは男の事情であって、こちらには関係ない。

真正面から関われないなら、応えないことを責める資格はない。

それを忘れるなと。

二度と話すことはない彼からのショートメールを削除しながら、私の心はやっと静けさを取り戻した。

 

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