誰のためのFacebookなのか

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さて。

先日、仕事用に作っていたFacebookのアカウントを一時停止しました

特に何かあったとかではなくて、単純にしんどくなったからです。

私のただの怠慢で、更新する気がまったく起こらないという orz

もちろん、仕事で書いた記事をシェアしたりはしていたんだけど、下手したらそれしか更新する内容がない。

ちゃんとやろうと思えば、考えていることとかね、もっと書いていけたんだろうけど。

「取材に行きました」「今日はこんなことをしました」とがんがん更新されている方々を見ていると、すごいなぁ、こうやって活動を書いていくのが正しい使い方なんだろうなと思う。

ちゃんと実名を出していて、アイコンだけはこのブログとツイッター、すべてのメディアで使っている消しゴムはんこのものだけど、なかなかちゃんと向き合う気持ちが起こらなかった。

で、更新しなくなると、次に「放置していること」が気になるのね。

何かのついでに私のアカウントを知った人が見て、こんな中途半端に放っておかれている状態を見たら、前向きに関わる気はしないだろうなぁと。

そう思って一時的に利用解除しました。

メッセンジャーで仕事の話をすることもあったので、そういうのも気になった。知らん間にコンタクトあっても気が付かないとか最悪やんね。

結局、フェイスブックで私は何をしたいんだろうなぁと考えると、特に必要性を感じないだけなんだよね。

ネットでは、すごい人というか活躍されている人は、ほとんど皆さんフェイスブックはされている。

「ネットで仕事するならフェイスブックするべき」とはいろんなところで目にして、もちろんその通りだと思う。実名が当たり前である分、ツイッターよりもっと信憑性があるのは間違いない。

匿名で好き勝手するのではなく、「自分」をしっかり出して活動をアピールするのがフェイスブック。

やっていなかったら逆にネットで仕事している人間として大丈夫? という目で見られる可能性があるのは十分承知している。

それでも。

誰のためのフェイスブックなんだろうなぁ、と思ったらそれは当然私のためであって、当の本人が苦しみながらやっていてもダメなんだよねぇ。

もう何年も前からプライベートのアカウントも持っていて、そちらは数年前まではよく更新していた。

息子が生まれたときなんかたくさんの友人から祝福の言葉をいただいて、そらもうありがたいと思ったけど。

あるときから、疲れを感じるようになった。

毎回似たような投稿ばかりする自分、タイムラインに流れてくる友人知人の近況、それらに反応することがだんだんしんどくなってきて、ある日「何のためにフェイスブックやってるんだろ」という疑問が無視できなくなり、そのままログアウトしてしまった。

嫌になった理由には、「実際にはプライバシーなんてものはない」ことを実感したこともある。

私が友達にはなっていない人の投稿をスマホのスクリーンショットで撮影しては、「この人こんなこと投稿しゆで」みたいに見せる人が周りにいて、「ということは私の投稿もこうやって知らん人に見せられるんだな」と思い当たった瞬間にぞっとした。

悪意なく、そういうことができる人間というのは必ずいる。良い悪いは置いといて、問題なのは「自分の知らないところで自分の近況が一方的に把握される」ということ。

どれだけ設定でセキュリティに気を使っても、現実はこんなものだ。自分の近況がいつどこまで広がるか、それは誰にもわからない。

私が誰かの写真にタグ付けされるか(誰と過ごしていたか)気にしている人もいたし、自分の痕跡を探されるのってねぇ、あんまり気分の良いもんじゃないよね。

友人や知人たちのリア充ぶりを見るのは決して嫌じゃなくて、コメントをするのは楽しかったけどねぇ。

結局、人間関係のしがらみがリアルからここまで伸びていることが、一番疲弊した原因かもしれない。

純粋に楽しめないなら、フェイスブックなんて私には向かない。

つくづくと実感したことだった。

そのプライベートのアカウントは、趣味で県外に遠征に行ったときに覗くくらいで、今も普段はログアウトしています。通知は一切来ないようにしているし、メッセンジャーも切っている。

それで困ったことなど一度もない。

リアルで会える友人はそこで完結していい。ネットまで持ち込まなくてもいい。フェイスブックで「リア充アピール」するのは、その大好きな趣味のときだけでいい。県外の仲間に元気にしてると知って欲しいから。

そう思っています。

で、仕事用のアカウントは、これを通じて自分は何をしたいのかがイマイチわからなかった。ピンとこなかった。

しがらみなんかは全然なかったんだけどね。良い刺激をいただける場であったけど、放置することを日々気に病むことが嫌で、それならいっそ今はやめてしまおうと決めました。

またそのうちやりたくなったら再開しよう。

フェイスブックやツイッター、インスタグラムとか、今の時代はいろんなSNSがある。それは、それだけ自分を知ってもらう機会があるってこと。

上手に使えば世の中に自分の存在をしっかり見せられる。どこで良いご縁が生まれるかわからないし、仕事につながる可能性だって十分にある。

それでも、向き不向きは絶対にあると思う。

ツイッターはしんどいけどインスタグラムなら前向きに投稿を楽しめるって言う友人がいて、何故かと尋ねたら「ツイッターは文字が先行して感情がダイレクトに動かされるのがつらい。インスタグラムは写真がメインだからそれだけで言いたいことが言えるから好き」ってきっぱり言葉が返ってきて、なるほどと思った。

同じ「発信」でも、何を使うかによって「どれが一番自分を正しく見せられるか」は変わってくる。

その人に合ったものを使うのが一番だよねぇ。ストレスなく楽しめないと、無理してる姿ってどうしても伝わってしまうからね。文字でも写真でも。

私なんてまぁどれも中途半端で、たぶんSNS自体が向いてないんだろうなぁ。

こうやってブログでぼちぼち自分の考えを書くくらいが良いのかもしれない。

忘れてはいけないのは、発信しなければ誰にも見つけてもらえない、すべてを止めてしまうのは本当に自分が世の中から消えるのと同じってこと。

何でもいいんだよ、要はね。

自分はここにいるよ、としっかり旗を立てる場所さえあればいい。そこから道を切り開いていけばいいのさ。

 

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