出会いは奇跡。「ご縁」を大切にすると人間関係は財産になる

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さて。

今日は、遠方から友達が市内に来ていたので、お昼をご一緒させてもらいました。

彼女は私より10歳以上年上で、バリバリ働いているキャリアウーマン。穏やかな物腰で、いつも深い思慮を持って行動している人。

会話しているといろんな気づきをもらえて、毎回別れるのが名残惜しくなる。

異動で市外に行ってしまってからも、私が向こうへ行った時にご飯を食べたり、あちらが市内に来る用事がある時に誘ってもらったり、お付き合いが続いていた。

この方との出会いは、私にとって本当に嬉しいものだった。

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「その場」以外で話しかけてもらえる嬉しさ

「RITA」のカレー

ランチは行きつけの「RITA」で。

バターチキンカレーとチーズナンの組み合わせは最高щ(▼ロ▼щ)

で。

数年前のこと。

その時、私はある施設の売店でパートをしていた。

お昼を中心に、お弁当の販売がメインの仕事。立ち仕事だったけど、元より接客は好きなので全然苦ではなく、週に3回ほどの勤務を楽しくこなしていた。

ある日、お客さんの中で、ある女性が私をじっと見ていることに気がついた。

あれ、この人たまに来るよなぁ、けんど知らん人やなぁ、くらいにしか思ってなかったんだけど、よく見られることに気がついた数日後のこと。

「あの」

いつものようにレジで出されたお弁当を受け取りながら、初めてその人に話しかけられた。

「はい」

と顔をあげると、まっすぐに私の顔を見つめながら、

「ジムに来られてますよね?」

とその人は言った。

「あ、はい」

思わず普通に頷いていた。

あ、ジムか、とやっと見られる理由に合点がいった。たまに、スーパーで買い物している姿なんかを見られていて、会員さんに「この間イオンで買い物しよったろ」と話しかけられることがあったから、別に驚くことではなかった。

ただ、その頃の私はちょっとリウマチが悪化していて、数週間ジムには行けていなかったとき。行ったとしても特定のレッスンしか出ていなかったので、正直、よく私の顔を覚えてるなぁ、という驚きがあった。

その人はホッとしたような表情だった。「最近、ジムでお見かけしないから、もし違ったらどうしようかと思った」と笑ってくださって、「ありがとうございます」と私も一緒に笑顔になってしまった。

「ちょっと体調が悪くて・・・」

と言うと、

「あぁ、そうだったの?」

とびっくりした顔でまじまじと私を見る。隠すようなことでもないので、実は自己免疫疾患で、と軽く病気のことを話すと

「えっ、あんな大きな声で楽しそうにやってるのに」

と返ってきた。

・・・・ん?

「最近あなたの声がないからスタジオが寂しいのよ」

・・・・あぁ。

「もしかして、あの、」

恐る恐る確認すると、彼女と私は同じレッスンに入っていた。私はいつも前列で、彼女は後ろの方だったから、面識がなかっただけで。

「いっつも笑顔だよね、いつも背中を見てるよ」

と言われて、思わずこみ上げるものがあったのを覚えている。行けていなかったので、スタジオが恋しくてたまらない時だった。

「ありがとうございます」

次の人が並んでしまったのでこの時はこれで終わり、それからたまにお店に来ては、お弁当を買っていくついでに話をしていくような関係になった。

これが、彼女との出会いだった。

それから少しして、パートの契約が終了した。元々お店が改装するまでの契約だったので仕方ないんだけど、その時「じゃぁ、これからはジムで」と約束して、本当にジムで再会して、それからはもっと距離が近くなった。

同じレッスンが好きという共通点があると話が弾む。インストラクターさんのこと、ほかの仲間のことなど話題はたくさんあって、私はそのレッスン用のウェアをプレゼントしたりして、楽しく過ごしていた。

ジムの外で話しかけてもらえたということが純粋に嬉しかった。

自分を振り返ってみると分かるんだけど、ジムという「その場」以外でその人を見かけても、話しかけることはあまりない。

気後れするし、勇気が要る。話しかけたら迷惑かもしれない。だから、次にジムでお会いした時に「先日○○でお見かけしました」くらいしか言えない。

これだって、相手からすれば一方的に見られて場所も特定されて、良い気分がしない人だっているだろう。それは相手との距離感にもよるところが大きい。

彼女にとって、私は「話しかけても良い」と思う相手だった。私が自分を認識していないことが分かれば、あえて明かさなければそのまま「他人」だったはず。

関心を持ってもらえたこと。きっかけを与えてくれたこと。

煩わしさが生まれる可能性がある人間関係の中で、こうして「その場」以外で話しかけてもらえることは、幸せなことだと思う。

話していけばその人のことをいろんな方面から知ることになる。私を知ってもらえる。それは向き合わなければ得られない刺激。

年齢差があっても、共通点があるおかげでそんなことも感じずに済んだ。

彼女自身の考え方や価値観、「人を大事にする姿勢」を知ると、我が身を振り返って反省することが多く、知り合えて良かったと思うことばかりだった。

病気のせいで会社に属することが出来ず、家かジムかしか居場所がなかった私にとって、多くの思慮を与えてくれる彼女のマイペースな姿は眩しかった。

「ご縁」が生まれる出会いは奇跡

「かうひい亭」のコーヒー豆

お土産にいただいた、四万十市にある「かうひい亭」のコーヒー豆。

四万十市に住んでいたのは10年以上前だけど、よく行ってたなー。カフェオレがこじゃんと美味しいがよね。

で。

ある日のこと、レッスンが終わってから、

「実は異動が決まってね」

と言われた。

「え・・・」

ショックで手が止まった。

聞けば、元々西部の方に実家のある彼女は、ご両親の介護もあって、地元での勤務を希望していたそうだ。

これまでは、何かある度車を飛ばして帰っていたが、それも疲れるし、側にいたい、と。

「そうですか・・・」

ご家族を大切にされているのは話していて知っていた、だから止めることも出来ないし、そもそも異動を断れるはずがない。

毎回熱心にレッスンに参加していた彼女は、それが終わることが本当に寂しいと。

私との時間がなくなることも寂しいと。そう言って、私の前で泣いた。

「あなたがずっと声を出してレッスンを楽しんでいる姿を見ると、疲れていてもまだまだがんばろうって思えた」

と言われた時、私も我慢できずに泣いた。

彼女が参加する最後のレッスンは、インストラクターさんに無理を言って彼女の好きなナンバーを流してもらった。

泣きながら、また来てくださいね、イベントの時は必ず声をかけますからねと言い、写真を撮り、お別れになった。

いつの間にかほかの仲間の間にも溶け込んでいて、でもいつも控え目にスタジオでも自分の位置を守っていた彼女の姿が消えて、鏡を見る度にそこにない笑顔を確認しては寂しく思う日が続いた。

怖かったのは、このまま疎遠になるんじゃないかということだった。

ジムという場があったからこそ、あえて約束しなくても今まで会えていた。気がつけば、ジムの外でプライベートな時間を持ったことは最初の出会いしかなくて、これからどうしよう、どうやってお付き合いを続けていけばいいんだろうと、そんな不安があった。

ジムで会えなくなっても、住んでいるところが近ければ、ちょっと誘ってお茶を飲む時間くらいはすぐに作れるかもしれない。

だけど彼女は高知市内から遠くに引っ越していって、仕事やご両親のこともあれば、なかなか声をかけることはできない。

もちろん自分から誘いたい気持ちがあった。会いに行く口実で車を走らせることだって無理じゃない。息子も1歳を超えたし連れていける。

でも、そう思っているのが自分だけだったら。

そんな思いは杞憂だったと分かったのは、彼女の方から「今度市内に行く用事があるから会えない?」とメールをもらった時だった。

自然に語りかけられる言葉を見た時、あぁ一人で心配してアホやなぁ、何も考えずに私もこう言えば良かったんだと心底思った。

も、もちろん喜んで!とアクセスの良いところにカフェを探し、待ち合わせして、また会った。

夏はお墓参りで私が彼女の近くに行くことがあって、その時もランチをご一緒した。

普段からちょこちょこメールのやり取りもあって、私はジムでのことを報告する。

彼女がジムを辞めた後も、会話する「場」が変わっただけ。それがまた、嬉しくて幸せなことだと思う。

結局、付き合いは続くのだ。お互いが望む限り。

あえて時間を作る相手というのは、やっぱりその価値があるから。

離れているからこそ、いい加減な気持ちだと続かない。馴れ合いはできない。それでも、私たちは連絡をとり続ける。

「ご縁」を大事にしようとする姿勢があれば、人間関係は財産になる。

人の気持ちがお金で買えないように、関係だって、目に見えない価値はとても重い。

そう思った時、この「奇跡」に心から感謝したいと思った。

関心を持ってもらえることも、また自分が関心を向けることも、決して当たり前じゃない。

だから。

この「財産」をこれからも大切に育てていきたいと、今は思う。

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