「器の大きい人」とは他人の夢をバカにしない人

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あなたの大きな夢を萎えさせるような人間には近づくな。 たいしたことない人間ほど、人の夢にケチをつけたがるものだ。 真に器量の大きな人間は自分にも成功できると思わせてくれる。

マーク・トゥエイン

男友達のひとりに「皮肉屋」がいる。

よくいる「俺は周りとは違う見方ができるんだぞ」オーラをぷんぷんさせている奴で、たしかに頭はいい(賢い)んだけど人間味に欠ける。

斜に構えることをカッコいい、と思うのはせいぜい20代までが限界で、30代にもなれば普通に「良いものは良い」と認めることができる人間こそ魅力があるんだけど、そこをいまだに分かっていない。ちなみに35歳。仕事はネット関連。

私にとっては数少ないネットの話ができる友人で、皮肉屋なところをのぞけばセキュリティなど分からないことはちゃんと教えてくれるし、面倒見も良い。仕事はできる奴なんだと思う。

私は彼に自分のこのブログのことなど明かしていないが、顧客にもブログを開設している人がいるとかで会話していると頻繁に「今のブロガーは」とかいう言葉が出て来る。

それを、何も知らない顔をしてふんふんと聞いているんだけど(ツッこむと後が面倒くさいので)、とにかく「実際にやっていない人間の言葉」が満載でそれはそれで勉強になる。

「今の若いブロガーってさぁ、どうせ引きこもりのニートやお?社会で通用せんきネットで吠えることしか出来んがやお?」

「精神論ばかりの似たような記事が多すぎる。つまらん」

「アフィリエイトのいかにも買ってくださいって文章がダサい」

などなど、ネットでブロガーが話題になることをいかにも憂いている、といった感じ。

「そうかねぇ、今はいろんな稼ぎ方ができるきブログもえいと思うけんどねぇ」

「え、自分のしょーもない文章で金が稼げると思いゆうが?はっ、アホやわ」

と鼻で笑われる瞬間などは殺意が湧くが、いい、彼はこんな男やし、自分に関しては反論できない。

言い返せないのは、彼の言葉は「痛いところ」を突くからだ。

人間味がない、と思うのはLINEでも味気ない言葉の羅列でうんざりさせられることが多いからなんだけど、それでも、私には耳をふさいで横を向きたくなるようなことで。

「精神論なんて書いても意味がない」

「稼ぐ枠組みを作れないでブログなんかやっていてもしょうがない」

「せっかく拡散される文が書けても(他人に読まれる記事が書けても)それを活かせないんじゃダメ」

そうなのだ。これが「読む側」のひとりの人間の感想なのだ。

そして、実際にあるブログを見ながら(検索して引っかかるもの)ここはこうすればいいのに、ここにリンク貼ればいいのに、と弱点を見つける。正直、「ブログのキャッシュポイント」については一応ちゃんとした意見を持っている。自分は書かないくせに。

斜に構えているだけに、人のブログすら真正面から読もうとはしない。内容に興味があるわけではない。ただ弱点を見つけてバカにしたいだけ。褒めることなどしない。

もしこれが私のブログだったら、知り合いの記事だったら、同じことを言うのだろうか。

寂しいなぁと私が思うのは、せっかく同じ記事を読んでいるのに、内容や書いている人には一切触れず、ただ体裁だのアフィリエイトリンクの有無だの、そんなところばかり彼が見ているところ。

本当は、会社員をしながらブログでも稼いでいる人を見ると悔しいんだろうな、と思う。

自分でもやれる(かもしれない)ことをほかの人がネットでやって大勢成功している、という事実が気に入らない。

いやお前の文章力じゃぁいかんろうよ・・・「嬉しい」とか「楽しい」とか「悲しい」とか感情を表す言葉が一切出てこないじゃないか。事実の羅列だけで人気が出るほど甘い世界じゃないよ。

決して「俺ならもっと稼げる」と言わないところが、唯一の分別で。

案外、こういう人は多いんだろうなと思う。

私はいろんな人のブログを読むのは好きだし、良いと思ったらTwitterなんかでシェアするし、マインド論も好きだ。

精神論こそ、売られている校正入りまくりの文章よりリアリティがあって身近に感じるし、書くのが上手な人は本当にこちらの気持ちを盛り上げてくれる。

確かに、SEOを意識して似たり寄ったりのタイトルが多いし(私もそう)、内容も二番煎じ三番煎じだったりするけど、それでも、そのブロガーさんの人柄を知る手がかりになる。

皆が皆、ブログで稼ぎたいと思っているわけじゃない。

純粋に書くのが好きな人、発信したい人、それぞれ思い入れがあって運営していて。

PV数が欲しい、アドセンスも踏まれたい、そういう「欲」は誰でも多少は持つだろうけど、それがすべてならブログじゃなくてアフィリエイトやってるよ。ASP使ってるよ。

ブログに夢を持つ姿勢をバカにされることが、一番悲しい。

粗があっても、キャッシュポイントがなくても、それはその人の問題であって、他人に「こんなブログで稼ごうとするなんて」と鼻で笑われる筋合いなどどこにもない。

なぜそれをわざわざ表明する必要があるのか。

こういう人間こそ、得てして「せっかくアドバイスしてやってるのに」という姿勢を取りたがる。

「自分の方が賢いし、稼げる」という自負があるんだろうけど、それはね、余計なお世話っていうんだよ・・・。

自分に馴染まないなら触れるな。自分の世界で語るな。お前の言っていることはある意味では正しいのかもしれないが、それがすべてじゃぁないんだ。

ひとつの目線でしか見ることができないなら、その人の気持ちなどずっと分からないだろう。

それは自分にも言えることで、あなたの言っていることも他人から見れば同じようにバカにされることかもしれないんだよ、と。

自分の気持ちが分からない人に批判されたらイヤだろう?

先日、この男友達に「クラウドソーシングってほんま貧乏人がやることでね」と言われた。

「(能力が低くて)他にやれる仕事がないからこんなことしかできんがでね」

と言われた時、自分でも自覚できるくらい怒りのこもった口調で

「あえてそれを選んで頑張りゆう人間も世の中にはこじゃんとおるで。やったこともないくせに知った口叩くがえい加減にしいや」

と切り捨てた。

私に至っては、普通に働けない体だからクラウドソーシングという仕事を生業のひとつに選んだ人間だ。

あぁ、こういう人間と付き合っているとダメになるな、ときりきりする胸を押さえながら思った。

寂しい。悲しい。が、こういう人間もいるのだ。

冒頭のマーク・トゥエインの言葉は、真理だと思う。

「真に器量の大きな人間は自分にも成功できると思わせてくれる」というのは、他人の持つ夢を決してバカにしないこと。

たとえ自分と馴染まなくても、触れないこと。それだけで相手を尊重できる。

萎える人間には近づかないこと。これも立派な自衛。

久しぶりに、この本を読み返そうかと思った。

辛辣な言葉も多いけど、大人になればなるほど、うんそうだよねぇ、って頷ける部分が多い。

他人の夢をバカにするような人間にはなりたくない。

「斜に構えること」と「ほかとは違う見方」は同じじゃない。

何でも批判する「皮肉屋」は自分のペースに持ち込まないと気が済まない。他人が自分に合わせることを当たり前に思っているけど、それじゃ周りが疲弊していつか離れていくよ。

同調がすべてではないけど、せめて黙っていること、これくらいの弁えは欲しいと思う(私を含めて)。

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