ダメンズと言ってもまぁ、私がよくこのブログで書いている、自分に自信のない男のことなんだけどね。
愛情を出し惜しみする男というのは一定数いるんだけど、要するに「愛情を口にすることは自分の負け」と考えているってこと。
「好き」だの「愛している」だの、そういうのはまず先に相手に言わせたい。自分が伝えるのはそれから。「負け戦」はしない。
ただ、これはプライドの高さが原因ではない。
自分を高く見積もっている男が自分に愛情を向ける女性に言わないのは、もったいつけるから。
「そんな大事な言葉、簡単には口にしてやんねーよ」という奢りがあるから。
そうではなくて、ダメンズの思考というのは「相手に気持ちを知られてしまうのは弱みをつかまれること」「自分の立場が弱くなること」など、「自分を守るため」に愛情を伝えることを避ける。
まぁ、どっちもしょーもない部分では紙一重だけどね。
先日「DRESS」で公開になった記事で、
というのがあるんだけど、この中に出てくる男性もそうなんだろうと思う。
実際に相談を受けたことだったんだけど(執筆の許可は得ています)、この、「いま好きだと言わないと関係を失う」ときになってもまだかたくなに言葉を避けるっていうのはね、単純に自分が傷つきたくないだけなんだよ。
もう相手の女性は自分に対して愛情を失っている。別れたがっている。それなら、今さら自分が好きだと伝えたところで何も変わらないだろう。応えてはもらえないだろう。自分は傷つくだけだろう。
それなら、あえて言う必要がどこにある?
これが実感。
不要な傷を受けたくはないと、すでに諦めているんだよね。
そのくせ、別れたあとで未練がましいメールを送ってくる。そりゃ本心では彼女のことが好きでたまらないんだから、一方的に離れていった彼女に恨み言のひとつも言いたくなるんだろうけど。
アホかと。
言わないことを選択したのなら、諦めろ。別れを受け入れたのは自分、そのとき「好きだ」と伝えなかったのは自分、それを相手のせいにしてどうする。
実際、私の周りでもこういう男をリアルに3人知っているけど、みんなこうやって「最後のチャンス」を逃していく。
愛情を伝えないことで彼女が不安になっていると理解していながら、「態度でわかってくれ」だの「強制されて言うものじゃない」だの、とにかく「責任を取る」ことから逃げ続けるから、最終的に誰からも愛さずにひとりぼっちになる。
「好きだ」「愛してる」の言葉を口にしないのは、それを伝えることが自分の負けだと思うから。
言われる分には気持ちがいいし構わないけど、自分からは絶対に言いたくない。それは「100%受け入れてもらえるとき」じゃないと怖くてとても言えないもの。
だって、知られたら優位でいられなくなるもの。
追いかけてもらえなくなるもの。
こんな恐れ。
言わないことで相手が不安になることを平気で放置できるっていうのは、本当に恋愛を自分の立場でしか考えることができないんだよね。
相手の痛みもつらさも、全部相手のせいであって、自分は関係ない。そして言わない自分は棚上げして、相手には「100%の愛情」を求める。
この矛盾に苦しむ女性は本当に多くて、たいていは女性の側も依存体質であることが多いんだけど、振り回されて傷ついて、常に愛する側であることを強制されるだけで、決して幸せな結末はない。
愛されたいという飢餓感は果てがない。男からわずかに与えられる奇跡のような愛情にすがって、自分さえ頑張ればもっと愛してもらえると勘違いし、どんどん泥沼にはまっていく。
対してダメンズのほうは、自分が愛情を見せないことで相手がさらに欲しがる姿を見て安心し、言葉も気持ちも出し惜しみしながら、常に愛される側、求められる側であることばかり考える。
「好き」だの「愛している」だのを口にするのは、自分の負けを認めるようなもの。愛情を手渡すのは主導権を奪われるようなもの。自分が彼女をコントロールできなくなるのが嫌だから、絶対に言わない。
そんな歪んだ強迫観念に縛られて、一番不幸なのは結局ダメンズ自身なんだけどね。
まともな愛情を知らない。まともに女性と付き合ったことがなくて、安心できる感覚っていうものがわからないから、とにかく自分を守ることで精一杯になる。
追われないと自分に価値を感じることができない。そして最後は捨てられる。これの繰り返し。
不毛な感情のやり取りを繰り返し、すっかり泥で塗り固められたプライドは、最後まで自分が折れることを許さない。
この不幸は、何よりダメンズ自身を傷つけ、自尊心を奪い、アイデンティティの不安定さが増していくだけになること。
傷つけて満足する人間っていうのはね、相手に傷を与える分、自分をないがしろにしているんだよ。
それに気が付かない。
こういうダメンズの思考は変わらない。「今さら自分を変えることなんてできない(=変わったところで何もプラスにはならない)」という定番の言い訳を後生大事に抱え続けて、楽しい交際も充実した結婚生活も、何も得ることができないまま、人生を終えていくんだろうなと思う。
ちなみに、この記事で出て来る男性は、登場する女性以外と付き合ったことがなく、自己愛が強くて典型的な承認欲求の塊みたいな人。
注目されない自分に不満を抱えながら、注目しない周囲を責める。誰からも相手にされなくて、「俺なんて」と卑下しながら他人を大事にする姿勢がない。
そして今でも孤独な生活を続けている。
対して彼女のほうは、このダメンズと別れたあとまともな男性と出会うことができて、先日「初めて彼氏に料理を作ることが幸せと知った」なんて泣けるような報告をわざわざ送ってくれた。
この違いは。
自分を愛しているかいないか、それだけのこと。
能動的に人を愛せる自分を取り戻せれば、いつだって誰だって、他人と気持ちよく関わることができる。自分を認めて、本当の「ありのままの自分」でいることに満足を覚え、素直な気持ちで他人を受け入れることができる。
だから愛される。
「愛されたい」の前に「愛したい」がくる人間は強い。それは、愛情を持つ自分から逃げることがないから。後悔することがないから。
この強さを持てない人間は、「愛されたい」と願いながら誰からも顧みられないまま、ひとりで生きていくしかない。
アラフォーになって、こんな生き様の違いをまざまざと目の当たりにすることが多くなって、しみじみと思う。
「自分の幸せは自分で決める」と言える人間は、決して不幸にはならない。
むしろそれは、女の方にこそ当てはまることだと思う