さて。
うちの夫ですが。
毎朝、私がお弁当や朝ごはんの準備をしている間、夫は息子のおむつの交換や着替えをやっている。
夫自身も出勤の支度があるんだけど、それでも、毎朝ニコニコしながら息子に「今日も元気でちゅか~」と最悪のニヤケ顔で話しかけている姿を見ると、やってもらう方がえいがかな、と思う。怖いけど。
ほんで。
お弁当を詰めてコーヒーやパンをテーブルに並べ、ご飯出来たきこっち連れてきて~とお願いするんだけど、必ず息子にスタイを着けるのを忘れたまま抱っこしてくる。
まだまだスタイが必要な息子、もーー、何度も言いゆうじゃかやー!と怒るんだけど、どうして忘れるのか分からない。
些細なことなんだけどね、面倒くさいんだよ!取りに戻るのが!たった数歩でもさ!朝はさ!
怒られることが苦手な夫はうろたえながら何やら言い訳してるんだけど、毎朝「ちょ、スタイ着けたかえ?」と一声かけるのもまた面倒くさく、地味にイライラの元となっていた。
が。
ある日。
私が声をかける前に夫が息子をテーブルに連れてきた。
首にはちゃんとスタイが。
「あ、今日は忘れてないがや」
と思ったけど、あえて口にせず、
「あ、スタイしちゅうね。ありがとう」
とだけ言うてみた。
それから、夫は息子のスタイを忘れることはなくなった。
「やったことを受け入れてもらえる」言葉
こういうことはよくあって、例えば言わないうちからゴミを出してくれていたり、私がうっかり洗濯物を干したままにしていて代わりに取り込んでくれたり、そういう時、必ず「ありがとう」と言うようにしている。
夫は、別に私から「ありがとう」と言われたくてやっている訳ではないだろう。
「洗濯物、忘れちょったろー」と言うだけで、別に「俺が代わりにやったぜ」と偉ぶる訳でもない。
それでも、「ありがとう」の一言がもしなかったら、多分やる回数はずっと減るだろうな、と思う。
それは、「自分がしたことを認めてくれた」という些細な満足だけがあって、それが日常積み重なっていくことで、夫の中に「自信」というか、大げさに言えば「存在意義」みたいなものが確立されていくことであって、そこには私の「ありがとう」が大切になってくる。
「ありがとう」って、感謝だけじゃなくて、「やってくれたことを受け入れる」意味もある。
結婚して、家族だけど、私がいつも思うのは、夫は「一番近い他人」。
足元をしっかり見て付き合わないと、「私とは違う人」という意識でいないと、すぐ「甘え」が出てしまう。
家族なんだから、夫なんだから、これくらいやってくれて当然でしょ。
そう思うことはある。
が、そういう気持ちをあからさまに出してしまうと、夫はきっと萎えるだろう。
「甘え」と「怠惰」は違うし、無責任に一方的に役割みたいなのを押し付けられるのは、私なら苦痛だ。
だから、例えば私が夜ご飯を作っている間、息子にご飯を食べさせてくれている時も「ありがとう、助かる~」、重くて私では難儀する車のチャイルドシートを移動してくれた時も「ありがとう、助かった!」、買い物で荷物を持ってくれた時も「ありがとう、こっち私が持つきあんた息子を抱っこしちょいて」。
やってくれてもいいだろう、と思うことでも、あえて「ありがとう」と言う。
それは、「ちゃんと見てるよ、感謝してるよ」という私の気持ち。
こういう繰り返しで、自分のしていることをちゃんと受け入れてもらえている感覚って、大人こそ夫婦こそ、大切なんじゃないかと思う。
最後は自分のための「ありがとう」
私は週に二回ほど、自分の趣味のために夜家を空けるんだけど、その時、夫が息子を見てくれる。
見てくれると言っても、ご飯もお風呂も済ませて後は寝かしつけるだけにしているんだけど、仕事の後でゆっくりしたいろうに、ごめんなぁと思う。
なので、いつも
「ありがとうね、お願いします」
と言って家を出る。
正直に言うと、24時間365日体制で息子の育児をし、家事もし、今は仕事みたいなこともしている私にとって、これくらいの息抜きはいいだろう、と思う。
でも、それを思ったとしても、夫にはぶつけたくなくて、そこはやっぱり、「お互いさま」だよな、と。
夫は、出て行く私を責めない。
仕事が忙しくて本当に疲れている時とか、次の日出勤が早い時間とか、そういう時はさすがに「今日は行かんとって~」と口にする時もあるが、その前に私自身そんな夫を家に置いて出ていこうとは思わないし、たいていは普通に「行ってらっしゃーい」と息子と一緒に手を振って送り出してくれる。
やっぱり、しみじみとありがたいなと思う。さっきの気持ちと矛盾するけど。
夫は何も言わないけど、私の趣味を尊重してくれている。それが分かる。
「行かせてくれてありがとう」
この言葉を、いつも口にするけれど。
きっと、そんな私の気持ちを、夫も受け入れてくれているんだなと思う。
普段から伝えているからこそ、相手もスムーズに手を出すことが出来るのかもしれない。
お互いに、相手のことを思って。
夫婦って、距離が近いほど、あえて言わないといけないことが多いと思う。
「ごめんなさい」も、大切な言葉だけど、「ありがとう」もあたたかい言葉。
これが言える自分でありたいと、いつも思う。
■ 大好きなスピッツ、これまたアホほど好きな「魔法のコトバ」。
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