
「丸亀製麺」の「明太釜玉うどん」が大好きなのですが。
今日の夕方、家族で食べに行ったら、あり得ないくらいベチャベチャでコシもクソもない代物が出てきました。
器を受け取って中を見た瞬間、「え?」と思った。
いやその前に、「かけうどん」を頼んだ夫のうどんも、「あれ?」と首を傾げたくなるようなでろんとした状態だったと思う。
何となく嫌な予感はしたんだけど、次のお客さんも控えているし、とりあえずそのまま会計を済ませる。
いざ席に座ってひと口すすった夫が
「あぁ、こらいかんわ」
と箸を置いた。
私も黙って釜玉用のダシを回しかけ、まずひと口。
「・・・あぁ、うん。こらめった」
想像通りのマズさ。
まず麺が細い。角は溶けてフニャフニャ、べったりとした食感で、喉越しも悪ければ粉の風味も完全に飛んでる。
なっし、これを客に出す?
普段は本当に美味しくて、ざるうどんなんかお願いしたらモッチモチでつるんっとした讃岐うどんを楽しめるんだけど。
厨房にいたのは20代前半と思われる若い男の子が二人、別に愛想が悪いわけでもない、手際が悪いようにも見えなかった。
これはちゃんと茹でる時間図ったのか?
作りおきでもしてるのか?
ていうかお前らいっぺんこれを食べろ。
「結果」は「行動」によってしか生まれない

夫が頼んだ「かけうどん」。
せっかくの美味しいだしがまったく活かされない残念なうどんでしたとさ。
で。
うどんの話はおいといて。
今月、私はあるライター向けのサロンに入会した。
ライターどころかこのブログすらまともに続けることが出来ていない私にとって、そのサロンは値段も含めて敷居の高いものだった。存在を知って数日入会するかどうか悩んだ。
主催されているのは立派なプロのライターの方。
そして私はその方が運営に携わっているWebメディアのファンであり、その方の書いた記事も好きだった。
ここで学ぶことが出来れば、きっと成長出来るだろう。
それは直感だった。
4月から内容がリニューアルされると知り、入るならこのタイミングだ、と思ったけれど、なかなか踏ん切りがつかなかった。
今までサロンというものに入会したことがなく、値段も相応に高いものだけど、何より私自身、まだ何の実績もなければ間違っても「ライターです!」なんて名乗れるような存在ではなく、分不相応というか、場違いではないかという不安。
いま思えば、ただの「自意識過剰」でしかなかったんだけど。
結局、4月1日、入会した。
いま決断しなければきっと後悔するだろうな、という気持ちは、時間が経てば経つほど苦しくなる。
そして、いざその「場」に足を踏み入れてみて、あぁ来て良かった、といま心から思う。
何を得るかは自分で決める
自己紹介することすら恥ずかしかった。
案の定、参加している他の方々はある程度もう地盤を固めて活動していらっしゃる方ばかり、ブログやホームページ、noteなんかでどんどん発信していらっしゃる。
読んでみると、私のような初心者丸出しの文章ではなく、しっかり起承転結のある読みやすい書き方で。
それでも。
入会したからにはまずご挨拶だろう、と私のことも書いた。
主催者の方から返信をいただけるだけでうわーってなるこのミーハーさは何とかならんのか orz
そして。
以前から色んなサイトで名前をお見かけしていたプロの編集者の方とのコラボ企画があった。
これを読んだ時、どうしてもコメントを残したくなった。
どうしてもお尋ねしたいことがあったから。
「今は何の実績もないけれど、これから伸びると思えるのはどんな人ですか?」
すると、主催者の方がたくさんの方にお声をかけてくださり、それがまたそうそうたるメンバーで、思わず正座して返信を読みふけった。
目からウロコどころか、心がバリバリと音を立てて一皮剥がれるような、そんな感覚だった。
内容は詳しく書けないけど、やっぱり、実際に活躍されているプロの方の意見って本当に貴重だ。
こんな素人丸出しの質問にも丁寧に答えてくださって、本当にありがたい。
正直、これだけでもう、十分ここに入った価値はある、と思った。
勇気を出してお聞きして良かった、答えていただいたからには活かしていきたい、しっかり頭に入れて活動していきたい。
得るものは自分で決められる。
でも与えてもらうものはそれ以上にたくさんある。
ただの素人だし、実績もないし、じゃなくて、だからこそ早いうちから多くの意見に触れることは、本当に有益なこと。
そして、モチベーションを維持してくれること。
そんなことがあって、先日の「灯台もと暮らし」さんを追っかけて嶺北へ行くような暴挙に出てしまったんだけど、これは、ただ「感動を与えてくれる人たちに会いたい」一心だった。
以前なら、こんなことしなかっただろうな。
いや、行きたくても我慢しただろうな。
でも。
「行動」を起こさないと、何の「結果」も得られないから。
会えなかったけど、決して無駄だったわけではなく、代わりにたくさんの癒しをいただいて帰ってきた。
これだって、やってみないと分からないことだったんだ。
一つの「選択」、ひとつの「行動」
するかしないかを決めるのは自分自身だけど、私の場合、心の琴線が動いた時点でもう、選択が決まっていることが多いような気がする。
サロンの件だって、結局見つけた時には入会する算段を考えていた。
ひとつ、会費のことが悩みだったけど、それは「毎月最低この額はクラウドソーシングで稼ぐ」という目標を立てることに繋がった。今月はとりあえずクリアした。
これは自分にとって必要な投資であり、決して無駄にはならない。その選択と行動が、今から、私を鍛えてくれる。
物怖じするばかりでは、損を重ねるだけなのかもしれない。
選択したなら、実際に行動すること。
これを繰り返していかないと見えないものがたくさんある。
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