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本日、下弦の月。

てんびん座の月は、パートナーシップ・バランス・許容などのあり方に関わるそうです。

「下弦」

「捨てる・手放す・終わらせる」

満月から新月に向かう半月。

冷静に「なんとかなる」と思え、スムーズに捨てられる時。別れ話や退職など、おわらせたいことはこの時期に。不要な人・物・事を手放せば空いたスペースに福が来る。

出典:「わたし時手帖 2018」

次の新月まで、不要なものを捨てて少しでもシンプルな自分になりたいと思っていました。

去年からずぅっと自分の中で違和感を覚えていたことは、

「自分に嘘をついて行動していること」

だった。

・本当はそこまで好きでもないのに「これ好き」と言ってしまう。

・大して何とも思ってないのに「すごいですね」と口にしてしまう。

・本気で行きたいと感じているわけじゃないのに「行く行く」とアピールしてしまう。

なぜか。

「そうでなければならない」と思いこんでいたから。

私が周りの人にどう見えているか、冷静に考える瞬間は何度も訪れる。その中で、「こうするべき」「こうあるべき」=それが「周りに受け入れられる私」のはずだ、と知らない間におかしな了見を得てしまっていた。

で、心に嘘をついたまま行動してしまい、結局後味の悪い思いをしたり虚無感ばかり募ったり、ぐったりと疲れ果てることが去年は数回あった。

これを今年はやめようと思う。

正直ねぇ、良い意味で私の存在なんて軽いんだよ。それこそ冷静に周りを見れば、私のそんな無理をした行動なんてたいした意味があるわけでもなく、人に大きな印象を残すこともない。

どうして一方的に「こうせねば」って思ってしまうのか、それは「そうしないと愛されない」「そうでないと忘れられる」っていう無意識の恐怖なんだよね。

自分が好きだと言いながら、結局周りの人に認められることに、まだ価値を置いていた。

それが無駄な時間を作るんだよねぇ。

「諦めても良いもの」は必ずある。

それは、

・他人からの評価

であったり

・他人から好かれる自分

であったり、「自分の軸」から外れたものなんだよね。

本当に好かれたいの? と自分に問うたとき、「いや、別に」という答えが返ってきてほっとした。

無理をした自分が好かれても仕方ないしねぇ。

これが実感。

去年からすでにやめているのは、「関わりたくない人に無理に愛想笑いをすること」。

普段そう連絡を取り合う仲でもないのに、その場だけ親密なフリをして近寄ってくる人はスルーする。

そういう人ってね、「○○さんと仲の良い自分」をアピールしたいだけなことがほとんど。

それこそ、「人前だから好かれている自分を演出しなくては」という下心が見えてつらい。

私の基準で、今後も親しくなる気が起こらないだろう人は話しかけることを止めています。

こんなことでも、どれだけ楽になったか。

「諦めても良いもの」「手放しても良いもの」は、自分の価値観ではなく「外の価値観」に支配されていることが多い。

「誰とでも仲良くしなければいけない」なんてのは幻想でしかなくて、現実では無理だしね。絶対に歪みが起こる。その代償は自分の心を圧迫する不自由さと葛藤と苦しみ。

諦めてもいいんだよ、と。

空いたスペースに新しい愛情を迎えることができるんだよ、と。

それを改めて考えながら、今年は好きな人たちにもっと積極的に関わっていける自分を目指したい。

人は鏡だから。

ね。

あと、今年は「毎日ひとつ不要なものを捨てる」をやっています。毎日やったら365個要らんもんが減るね。いいよね。

 

【こんな記事もあります】
■ 「執着」を手放すのは、諦めではなく自分を守ること
■ 「いつも明るくて誰にでも笑顔で接する人」が決して好かれない理由

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