スポンサーリンク

少し前に、男友達が好意を持っていた女性に振られてしまった話を聞いた。

彼はそのときの状況を淡々と話してくれたけど、自分の気持ちをちゃんと伝えようとした勇気は、素晴らしいと思う。

結果は両想いでなくても、想いを伝えることからふたりの関係が始まる。

振られたから終わり、と考えるのはもったいないと私は思っている。

恋愛でなくても、絆は作れる。それよりもっと深い情で結ばれる場合だってある。

ずっと年上の男性とプラトニックな「親友」関係を続けていた私は、安易な欲情に走るより手にすることの難しい愛情を、育むことができた。

つらいのは、一方通行のときだ。

自分だけが相手のことを考えている。

自分だけが相手に心を開いていて、向こうは応えてくれない。

「人は鏡」だといつも思うけど、やっぱり向き合えない人はいる。

思いを手放すことができれば、楽になれるだろう。さっさと諦めるほうが健全な選択だとわかっていても、それができないときなんて生きていれば何度でも訪れる。

それでも。

「執着」が自分を不幸にするときは、やはりさよならをするほうが良いのだ。自分のために。

 

スポンサーリンク

開かない扉

あと数年は忘れられないだろう言葉がある。

「何であんたに心を開かないといけないの?」

一生懸命、良い関係を築きたいと思って友情を口説いていた男性からの言葉だった。

私は彼に信頼されたかった。

普通に、「何でも話せるような」友達になれたらと、そのときは思っていた。

だから、私は自分自身のことを包み隠さず話していたつもりだった。

それでも、彼にとって私は信じることのできない相手だったのだろう。

「心を開いて欲しい」とお願いしたら返ってきたのが、うんざりしたような彼の声だった。

べこん、と心が大きく歪む音がした。

……そうか。

私にその価値はないか。

もちろん、彼とはその後綱渡りのような危うい関係しか築けず、結局最後まで私の一方通行で終わった。

終わりを迎えるその瞬間まで、彼は私に心を開くのを拒んだ。

本音を打ち明けるのを避けた。

そもそも、「何であんたに心を開かないといけないの?」なんて言えるような存在の私が、彼にとって大切な人になりうる可能性はなかっただろう。

彼はただ孤独で寂しい人だったから、こんな私でも側に置いておきたかっただけで。

そして私のほうだって、きっと彼を信頼していたわけではないのだ。

これを言われたとき、私の心はいびつな形になってしまっていた。いつもストレートな感情でしか人と関われない私にとって、歪みのある心から出てくる気持ちなど、きっと綺麗でも美味しくもない。

「人は鏡」。

結局、終わるべくして終わったんだろうなと、今は思う。

どうして彼にこれほど執着していたのか、時間が経って気づいたことがある。

私は、彼に認めて欲しかったのだ。

そんな言葉を平気で他人に吐ける人間だからこそ、そんな彼の心を変えられたという自負を、私は手に入れたかった。

彼を幸せにしたかったし、あたたかい心で誰かと関わることを知って欲しかった。

それらはすべて、私のエゴだ。彼は何も望んではいない。

彼が望まないのに、変わるはずはないのだ。

それは彼の問題であって、私が関知できることではなかった。

人は確かに変わることができる。でもそれは、本人がそう望むときだけであって、他人がどう説得したって響かないときは響かない。

だから、変わって欲しければ自分がまず変わるのだ。

自分が心を開いて接していれば、彼もそうなってくれるだろうと思っていた。

でも今は、本当にいつも彼と本音で話していたかと問われたら、頷くことはできない自分がいる。

傷つけられた痛みは、その後も定期的にぶり返しては私を苦しめた。

こんな人間。心のどこかでそう思いながら、私は彼を見ていたのではないか。

だから、彼はそんな私といても、最後まで素直になれなかったのだ。

開かない扉。

お互いに閉じていれば、どこでつながれば良いというのだろう。

「自分を愛せるのは自分だけ」という真理

私が持っている真理のひとつに、「自分を愛せるのは自分だけ」というものがある。

昔は、他人に愛されてこそ価値のある自分だと思っていた。

でも、本当は誰も私を幸せにしてなどくれないのだ。

他者に依存した幸福など、ただの責任放棄でしかない。

私の幸せの責任は、ほかの誰でもなく私にある。

それに気がついてからは、愛されないことへの怯えはなくなった。

ただ、愛したい。自分も、他人も。それだけで価値のある私なのだ。

だから、彼への執着も、縁を切ると心が決めた時点で消えた。

そのしがみつきは、私を不幸にする。

成長もなければ進化もない不毛な関係など、私を疲弊させ続けるだけだ。

「何であんたに心を開かないといけないの?」

その通り。

私を信頼することなど、きっとこれから先もないだろう。

それらすべてを悟ったとき、私の中から彼への執着は昇華していった。

無関心。

きっと、私が本当に欲しかったのは、これだったんだと。

開かない扉はそのままで心にしまっても良いのだと。

私が私を大事にするために。

大きなへこみのできていた私の心は、彼の存在が消えたことで元の形に戻った。

そのふかふかとしたかたまりを撫でながら、私はまだ自分を愛せることを実感して安堵した。

後で後悔するような選択を、私はしない。

それを知っている。

執着を手放すのは、諦めではなく自分を守るためだと、改めて思う。

■ 「自分の幸せに責任が持てるのは自分だけ」と肚をくくったら自らを愛す勇気が出る

■ 「自分なんて愛されなくて当然」という人が本当に失っていくもの
■ 「縁を切る」ことの本当の意味

 

こちらもオススメ(一部広告含む)

2 件のコメント

  • 久しぶりにクセのない素直な良い文章を読みました。有難うございます。

  • 冒頭部分の
    「結果は両想いでなくても、想いを伝えることからふたりの関係が始まる」

    この言葉良いですね。
    私はある既婚女性のことが好きになってしまいました。飲みに行くことはあったので今の関係を崩したくなくて、このまま私の胸の内に秘めておこうかと思っていました。
    ただ、自分の好きの気持ちが大きくなり過ぎて、相手に伝えずにはいられなくなってしまいました。会いたいと。

    想いを伝えることで自分の気持ちはすっきりしましたが、逆に相手の女性に悩ませてしまっているかもしれないと感じています。
    だって結婚しているのですからね。
    女性心理としてはどうなんでしょうか。

    はっきりと断られて疎遠になるのも辛いですし、気持ちを伏せたまま友達関係でいるのも辛かったです。
    他に選択肢はなかったのか今でも考えています。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

    CAPTCHA


    このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください