
「憎まれないと困る」、という人がいる。
もちろん、本当に嫌われたいと思っているわけではない。
彼らが望むのは、憎むことで相手に関心を持ち続けてもらうことだ。
「無関心」への恐怖から、「ネガティブな感情でもいいから覚えていて欲しい」と無意識に思っている。
さらに言えば、その核には「愛されたい」という願望が眠っている。
ある人から、ショートメールが届いた。
数ヶ月前、コミュニケーションの違いからストレスが溜まり、疎遠になった男性だった。
そこには、冒頭から
「私のことが憎いでしょうが、申し訳ありませんでした」
とずらずらと当時の非礼を詫びる文章が綴られていた。
「あなたの人生に今後一切関わらないことをお約束します」
「あなたの幸せを願っています」
「謝ることしかできません」
というお決まりの文句を目にするのはこれで何度目になるのか忘れたが、そこから漏れてくる「俺を忘れないで!」の悲鳴を、ぼんやりと聞いていた。
最期はきちんと会って話をして、お互いに納得して友情は終わったはずだった。
彼は「疎遠になりたい」と言う私を引き止めなかったし、ふたりで「今までありがとう」と空々しい言葉も口にできたのに。
あぁ、彼はまだ、あの日のままなんだな。
未練というか執着というか、彼は私への気持ちを捨てきれないまま、この数ヶ月を過ごしたのだろう。
別れてから一切の連絡も接触もなく、彼の存在は私の中で消えかけていた。
肩の荷が下りた、という開放感から先に進んでいて。
でも彼は、一生懸命私のかけらを探したのだろう。私に会う機会を待ち、連絡が来る瞬間を待ち、「やっぱり友達でいたい」という私の言葉を待ち。
それが一切ないから、焦るのだ。
本当に終わってしまったのか。
彼女は俺のことを忘れてしまったのか。
俺はまだ彼女を必要としているのに。
でも、正直にそれを伝えることはできない。
別れを受け入れてしまった手前、未練など見せられるはずがないのだ。
連絡すること自体が、彼にとっては恐怖になる。
メールを送っても、もし、着信拒否されていたら。
電話も同じ。
そのときのショックを考えると、怖くて動けなくなる。
だから、ショートメールという「安全地帯」を頼るのだ。
短い文章を送ってみて、「送信できませんでした」というメッセージが返ってこないかどうか確かめる。
内容は、お詫びの文ならもし届いて読まれても不自然にならない。
何とかして、私に連絡する「理由」が欲しかったんだろう。
あらかじめ「憎いでしょうが」と設定することで、先回りすることで、痛みを回避する。
嫌われている自分なら、私へお詫びの言葉を送ることも必然性があるから。
憎まれていないと困るのだ。
それしか、私が自分に関心を持つ理由がないから。彼の中ではそう結論づけられている。
彼の望みは、「戻ってきて」の一点。
本当に憎まれていると思うなら、連絡なんてできない。
謝罪なんてする気にはならない。
そして、本気で詫びるなら、ショートメールなんて姑息な手段は使わずに、電話でもメールでも、堂々とコンタクトを取るだろう。
少なくとも、私ならそうする。
それが、他人に対する敬意。
私は、iPhoneの設定で電話帳に登録していない番号からのショートメールは通知が来ないようにしている。
今回はたまたまほかの人とやり取りすることがあったから気がついたけど、そうでなかったらいつまでも受信していることを知らなかっただろう。
読むか読まれるかわからないようなやり方で謝罪することに、本当に誠意がこもっているのか。
それを問いたい。
「安全地帯」から出ないまま、一方的に自分の気持ちだけを送りつけてきて、存在をアピールするような方法しか思いつかないのか。
そこには、「こんな俺を受け入れて」という甘えが見える。
私を尊重する姿勢はなく、ただ自分の心を満たすことだけが頭にある。
「俺にはあなたが必要なんです」
たったそれだけを伝えたいのだろうに。
本人は、きっと「ただ謝りたかっただけ」と言い張るだろう。
それが彼が感じる自分の「本心」であって、「本音」からは目をそらす。
私を必要としている本音など、絶対に認めないだろう。
その弱さが。
これ以上は良好な関係を築けないと私の中に生まれた限界だった。
勝手に「俺はあなたに憎まれても当然」と設定することでしか、彼は自分を救えない。
そもそも、終わり際に「憎い」だの「嫌い」だの「恨む」だの、そんな言葉を出した瞬間はひとつもなかったはずだ。
そんな彼を知っているからこそ、私はしつこく「嫌いになったわけじゃない。ただ合わないから疎遠になりたいだけ」と繰り返し伝えたのだ。
それを一方的に覆してでも、私に忘れられるのが怖いのだろう。
この先、本気で関わることがないと思っている人間に対して、純粋に「謝りたいから」でショートメールを送る人間など、いないのだ。
「二度とあなたの人生に関わらないとお約束します」という言葉は、「だからあなたから関わってきて」と同義語になる。
憎まれないと困る。
それは、私が自分へ向ける関心の証になるから。
その核には、
「愛されたい」
という願望が眠っている。
もちろん反応を返す気はないが、あの日から1ミリも変化のない彼の姿を目の当たりにして、戸惑いを超えて悲しみを覚えた。
どうか、早く私のことなど忘れて新しい人生を歩んで欲しい。
まず自分で自分を愛する勇気を持って欲しい。
そうすれば、他人へも敬意を払うことができるようになる。
私は誰も憎む気はないし、すでに関心を失った後だ。
人としてまっとうに関われないなら、誰もその手を掴む人はいないということを、いつか彼が学んでくれたらいいなと、今は思う。
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