私も経験あるのだけど、たとえば
「夫が不倫しているので離婚したい」
と言ったとき、
「どこもそんなものよ」
「男なんてそんなものよ」
「遊びだから大丈夫よ」
「辛抱していれば戻ってくるから」
(すべて実話)
と普通に返してくる人が一定数いる。
もう、これのダメージは半端なく大きく、言われた瞬間に胸いっぱいに苦い汁が広がるのを感じた。
「どこもそんなもの」。これほど無意味で残酷で、こちらの気持ちを無視した言葉はないと思う。
ほかにも、
「不倫される方にも問題があるんじゃない?」
「不満があっても言い出せないようなあなたなんじゃない?」
「男はそんなものだから、妻が教育していかなくちゃ」
(すべて実話)
など、浮気や不倫の原因がさもこちらにあるかのような言葉を”普通に”返してくる人もいる。
これらは、すべて”男は浮気するものって心得ないこちらが未熟”ということだ。
どうしてそんなことがしゃあしゃあと言えるのか、口にしている当人は気が付かないが、ひたすらに他人事だからされている側の気持ちなどいっさいわからないのだろうな、と話していて感じた。
これは、たとえば「私のことじゃないのだけど」と前置きしたうえで「彼氏が浮気しているから別れたいって人がいて、どう思う?」と尋ねるとまっさきに
「え、浮気されるようなことでもしたの?」
と返す人が本当に多い現実を見ていて、どうしても
「男は浮気するのが当然なのだから、それをコントロールできない女性が悪い」
と聞こえてしまうのだ。
「浮気ごときで離婚なんて、ダメよ」
「辛抱しなくちゃ」
どうしてされた側が耐えなければいけないのか。
どうして浮気されて辛抱する必要があるのか。
私にはわからない。
「旦那の浮気”ごとき”で離婚なんて」、過去にこれを口にして薄笑いを浮かべていた女性が、いざ夫に不倫されて狂ったように
「許せない!
私は家庭のために尽くしていたのに、嘘をついてよその女と会っていたなんて!」
と叫んでいた場面を目にしたことがあるが、結局、当事者にならない限り本当のつらさも苦しみも、理解などできないのだなとしみじみ思った。
生き方の責任は自分しか持てないのが現実
「どこもそんなものなのだから、女性がうまくやって夫婦を続けていくのが普通」
と考える人は本当に多い。
この根底には、「離婚は悪」がとことん染み付いているな、と見ていて思う。
昔にさかのぼるほど、婚姻関係は「女は一歩下がってついてくるもの」が当たり前であり、男性と対等なんて絶対に認められず、男性と同じ土俵に上がることすら批判の対象となっていた現実がある。
その時代に生きた女性から育てられ、それが”普通”なのだと思い込まされ、自身もそうやって矛盾や理不尽に耐えながら離婚せず、またそれを娘や息子に見せてきたのが今の結果なのかもな、と思う。
女性の社会進出だの権利向上だの、世間では騒がれても家庭という閉じたコミュニティでは通用しない。
夫と妻は決して対等にはなれない。妻の妊娠中に浮気する男、新婚だが取引先の女性をホテルに誘う男、妻に性的興味をなくしてセックスレスから不倫に走る男、妻がワンオペ育児で死ぬような思いをしているときにバイアグラを個人輸入する男。これらすべてを、妻は常に「そんなもの」と受け入れるのが
”平穏無事な家庭を維持するため”
に求められる。
それが原因で離婚を言い出そうものなら、
「どこもそんなもの」
「妻なんだから、許してあげないと」
「自分も浮気しちゃえばいいのよ」
(すべて実話)
など、とんでもない言葉をぶつけられる。
離婚は悪なのだ。それを回避して結婚生活を続けることのみが正解であり正常であり、離婚する意思を通そうとすれば必ず
「そんな性格だから浮気されるのよ」
と言う人が出てくる。
……狂ってんなー、と思うが、仕方ないのだ。これを口にした人は、家に出入りする検針の男性に惚れてしまい、浮ついた心で油断している隙に夫に不倫され、それを追求したら自分も責められ、ドロドロの衝突になったにも関わらず離婚はいっさい考えず、どこまでも結婚生活を続ける選択をして今では立派な仮面夫婦となっている。
だから、自分がしなかった離婚という選択肢を選ぶ女性を見ると、「家庭を放棄してラクになろうとする歪んだ性格」と感じてしまうのだろう。
衝突した時点でどちらも浮気しており、夫婦の関係は破たんしているにも関わらず、「これで離婚するのは(女として)恥ずかしい」「それでも夫婦を続けるのが当たり前」、と彼女を見ていて感じた。
離婚は悪であり、夫と妻はいろんな意味で対等ではなく、何があっても夫との生活を続けるのが妻として正しい姿。
が、実際に離婚して明らかに人生が良くなった女性をたくさん知っている私は、「離婚できないことこそが不幸なのだな」とよく思う。
確かに、夫婦として最悪な話し合いだし気が滅入る手続きは多いし時間はかかるし、「離婚は結婚の100倍(だったっけ)大変」なのは事実。
それでも、夫婦としての枠だけにこだわって不毛な時間を何十年も過ごすことに比べれば、このたった数ヶ月はずっと正常なのだ。
修復不可能な状態になって離婚するのは、決して間違った決断ではない。もちろんそうなる前に努力はするべきでそれが大前提だけど、「これ以上は無理」と腹をくくったなら離婚に向けて準備を始めることだって、立派に関係と向き合った証拠だと、私は思う。
悪い縁は自分の力で切れるし、「どこもそんなもの」は間違いだし、自分の生き方の責任は自分しか持てないのだ。
夫との不和から与えられるストレスは、誰かに理解してもらわなくても構わない。同調されなくても、それは仕方ないと割り切るのが健全だ。
「でも」、とその苦しみを否定する言葉こそ、聞いてはいけないのだ。
自分の幸せは自分で決められる。これが本当の現実であり、離婚する勇気がその後の人生を変えるのだと、私は思いたい。
コメントを残す