世の中には、「関わってはいけない人」が確実に存在する。
平気でモラハラをしてきたり自己愛が強かったり、どうにも真っ直ぐな感情で結ばれない人などはわかりやすいだろう。
ある男性は、「約束ができない人」だった。
自分に思いを寄せてくれる女性がいて、このままいけばまぁ普通にお付き合い、くらいの距離感ではあるのだけど、素直に好意を伝えることができず、常に受け身を取ることで彼女の気持ちを確かめつつ、関係を築いていた。
が、約束ができない。
たとえば、彼女が「高松にいいお店があるんだけど、来週の土曜日、一緒に行かない?」と彼を誘う。
彼はその場では「いいね」と快諾する。自然な流れであり、そのときは彼女も特に不安を覚えない。
それなのに、「その日までに必ず何かでケンカが起こり、約束が流れる」のがパターンだった。
小さなすれ違いなのに何日も引きずり、お互いに何も言わないまま当日の約束は”なかったこと”になる。
ふたりで出かけるのを楽しみにしていた彼女は、最初は「ケンカ中だから仕方ない」と思ったが、それからも必ず約束の前に関係が悪くなってまともに完遂できない日々が続き、ついに約束そのものを諦めた。
それからは、何処か行きたいところがあれば前日か当日に声をかけるようになり、おかしなケンカは減ったという。
「約束ができない」のは何故なのか、彼女はずっと考えていた。
どうしてケンカになるのか、約束した日をまともに迎えられないのか、わからないのだ。こちらは普通に過ごしているつもりでも、些細なことで彼の機嫌を損ね、それが約束した日まで続き、その日を過ぎてやっと仲直りができる状態。彼女は買っていたチケットを破り捨て、予約を入れていたお店にキャンセルの連絡を入れながら、惨めな自分に幾度も絶望した。
また、そんな彼女の姿を平気でスルーする彼に、大きな不審感を持った。
普通、約束をしてそれがかなわなければ、仲直りしたあとでも「残念だった」とか「また今度行こう」とか、改めて仕切り直すことを考えないだろうか。
彼女がお金を払って購入していた二人分のチケットが無駄になったなら、「次は俺が買うから」と申し出ないだろうか。
そんなことがいっさいなく、ただ「ケンカしていたんだから、約束なんて俺は関係ない」「そちらの負担はそちらの勝手」と言わんばかりに触れようとしない彼の姿は、とても自分に愛情があるようには見えなかった。
これは、普通の関わり方じゃない。彼女はそう思った。
”先の約束”をしなくなった彼女に対して、彼は何も言わなかった。とりあえず会うことにして、それからあとはそのときに考える。そんな会い方でも不満を言わず、自分が行きたいところがあればその場で伝えて足を向けるような、彼女に言わせれば「常にその場しのぎ」のようなデートばかりになった。
そんな状態で告白して交際に進むことなど彼女は考えられず、ある日
「一緒にいることに疲れた。
約束してもかなわないし、ケンカも増えるし、もっと普通にあちこち行ける人がいい。
だからもう終わろう」
と彼に告げる。
すると、彼は
「そっか、じゃぁ仕方ないね。
俺は楽しかったんだけどな」
と”憮然とした表情で”答えたそうだ。
最後だから、と彼女は
「約束ができないっておかしくない?
いつもその日の前になるとケンカばかり、本当は行きたくないのなら最初からうんって言わなければいいのに。
本当にストレスだった」
と正直に気持ちを打ち明けた。
それを聞いた彼は、”突然怒り出した”そうだ。
「何でそんなこと言うの!?
俺だって楽しみにしていたけど、ケンカしていたなら仕方ないじゃないか!
行けないのは俺のせいなわけ!?」
その通りだよ、と彼女は思ったが、この時点で「まったく通じないこちらの気持ち」を実感して、これ以上は話しても無駄だと黙ったままでいた。
自分の言葉を無視する彼女を見て、男性はさらに激昂する。
「一週間も先の話をされてもさ、何があるかわからないじゃないか。
その日に行かなくちゃいけないと思うとプレッシャーを感じるし、正直楽しめるかどうか不安だったよ。
でも、そっちが言うからOKしていたのに!
俺を悪者にするな!」
ここで、彼女はハッとする。
”その日に行かなくちゃいけないと思うとプレッシャーを感じる”。これが、約束ができない彼の本音だった。
近づくにつれ気持ちが不安定になり、小さなことでも過敏に反応してケンカになるのは、彼のこの”楽しめるかどうか不安”が原因なのだろう。
当日になっても連絡の一本もよこさず平然と別々に過ごし、過ぎてから仲直りの兆しがやっと見えるのは、そもそも彼にとって約束は「楽しみ」ではないのだ。
だから別の日に行き直す提案がなかったりかかったお金についていっさい話題にしなかったり、そんなことは彼の頭にはまったくないのだ。
”先の予定”を回避するためなら、自分が楽になるためなら、彼女とも平気でケンカするしそんな自分に違和感を覚えないのだ。
すべて、自分の感情しか見ていない行動だった。
行きあたりばったりのようなデートでも彼は不満はないし、それはプレッシャーを感じないから。そのかわり、彼女のストレスは置き去りになる。
目を吊り上げて怒鳴る彼を見て、彼女の愛情は一気に冷めていった。
まともじゃない。
自分のしていることがこちらを傷つけるとまったく気が付かず、むしろ自分は「尊重される側」「許される側」であって、約束がダメになるたびに彼女が虚しさを堪えて過ごしていたことなど、彼にとってはどうでもいいのだ。
”関わってはいけない人”。彼女はそう言った。
結局、そのあとも散々彼女は責められて、最後は
「はいもうこれで終わりね、今この瞬間からあんたは他人だから」
と冷たい言葉を吐き捨てられて終わった。
ぶつけられた言葉の醜さより、彼女は彼が自分に関心をなくしてくれて良かった、と思ったそうだ。
「もう言われていることがどれもとんちんかんというか、いかに自分はつらかったか、こっちが自分をわかってないかって、そればっかりなのよ。
ケンカは仕方ない、だから約束は守らなくていいしスルーしても責められるいわれはない、って本当に口にしたのよ?
ぞっとしたわ」
彼女自身について、彼はひとことも触れなかった。
「終わりたい人に何を言っても無駄」
「もう俺には関心ないんでしょ」
「もう努力する必要なんてないしね」
「あぁしんどかった」
こんな憎まれ口ばかり大声で叫ぶ彼を見ながら、彼女は一刻も早く私に伝えなければ、と思ったそうだ。
「関わってはいけない人」は本当にいると、やっとわかった、と。
彼は、表面的には、あまり感情を出さなくても落ち着いている様子だったそうだ。声を荒げることもないし、会話も”無難に”続けられる、と。だから、彼女は諦めずにコミュニケーションを取り続けたし、何とか関係を改善しようと彼に「もっと自分の気持ちを伝えてくれたらうれしい」と繰り返し伝えていた。
そう言うと素直にうなずく彼だったが、一度キレると気が済むまで罵倒が続き、そのたびに彼女のほうからなだめすかして会話を正常な方向に戻す努力をし、嵐の去ったあと「で、なに?」と低い声をぶつけてくる彼のふてぶてしい様子にも堪えながら、何とかまともな話し合いができるよう感情を抑えてきたのが、彼女だった。
それは”異常”なのだと、普通ではないのだと、彼女はやっと気がついた。
最後まで、彼は自分の態度を振り返るのではなく「受け入れない彼女」を責め続けた。
俺は正しい、俺にプレッシャーをかけるな、俺に嫌な思いをさせるな。
彼の世界に彼女はおらず、彼が見ているのは「自分を受け入れてくれるはずの人」。
彼女はそうでない、とジャッジされ、”舞台”から降ろされた。
「それは命拾いしたね」
と思わず言ってしまったが、
「本当にそう思う。
あのまま続けていたら、きっと私がおかしくなっていた」
彼女は怯えた目で答えた。
「関わってはいけない人」が残すのは、自尊心を破壊し尽くされて”加害者”のレッテルを貼られ、彼の世界でひたすら「認めるべき人」の役割を押し付けられてこと切れた人形の残骸である。
その舞台にいる限り、いつまでも「ふたりで育てるべき愛情」は生まれず、同じ目線で気持ちを語り合う瞬間も訪れない。
これが現実。
どんなに普段はまともな顔を見せていても、”不具合”が起こればその本性は必ず表に出る。そのとき相手とどんな向き合い方をするのか、怒鳴りつけて罵倒して「俺は間違ってない」だけを押し付けてくる人間など、どんなにこちらが頑張ったところで幸せになる未来はない。
潔く身を引くのが自分のためであり、依存して心身ともにボロボロになる前に正常な感覚を取り戻すのが、唯一の救い。
”舞台”などない。相手にジャッジされる必要はないし、そんな権利はあちらにないのだ。
彼女は、すんでのところで自尊心を掴みなおした。
その本能こそ、大切にしなければと思う。
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